NHKラジオ・まいにちスペイン語「すばらしきラテンアメリカ¡Américas fantásticas!」2020年3月号(完結編)開講 !!

10月から2020年3月までの半年間、ラテンアメリカの歴史、文化、社会、人々の暮らし、そして多様性を紹介する講座です。
本学イベロアメリカ言語学科スペイン語専攻の柳沼孝一郎教授とシルビア・ゴンサレス教授が担当するNHKラジオ・まいにちスペイン語(応用編)「すばらしきラテンアメリカ ¡Américas fantásticas!」は2020年3月号をもって完結します!ラテンアメリカの各地を巡る旅もアンデス山脈を越えていよいよラプラタ地域のウルグアイそしてアルゼンチンに至ります。

アルゼンチン・タンゴ

3月号は、1. グアラニ族の聖地パラグアイ(グアラニ語で「大いなる川の大地」の意味)の首都アスンシオン(姉妹都市のアスンシオンに千葉市から市の花「大賀ハス」が寄贈されています)では伝統的な飲み物「テレレtereré」で喉を潤し、民芸品「ニャンドゥティñandutí」(「蜘蛛の巣」の意味)の鮮やかさに息をのみ、2. パラナ川流域に点在するユネスコ世界遺産「イエズス会伝道所」では、スペイン植民地時代に伝道師と数多の先住民が平和に暮らした布教集落(レドゥクシオンreducción)のありようを考え、3. 「南米のスイス」とも呼ばれるウルグアイの象徴でもある植民都市コロニア・デル・サクラメントの石畳の道をそぞろ歩いては時の移ろいに涙し、4. ブケブス(フェリー)でラプラタ川(「銀の川」の意味)を渡り、哀愁のタンゴが流れる港町「南米のパリ」ブエノスアイレスを彷徨い、5. タンゴ発祥の地ボカではポルテーニョスporteños(ブエノスアイレス生まれの人々)の魂に心を震わせ、6. ガウチョ(牧童)文学の最高傑作、ホセ・エルナンデスの叙事詩『マルティン・フィエロ』の世界を堪能し、7. 落陽に果てしなく拡がる大草原パンパに流れるバンドネオンの調べに想いを馳せ、8. ペロン大統領の妻として、戦うファーストレディーとして、短くも激しく生き、あまねく人民から愛されたエビータの人となりにふれます。

チリのノーベル賞受賞詩人パブロ・ネルーダが「Canto general(大いなる歌)」で讃えた悠久の大地ラテンアメリカ思索の旅、底流しているのは「言葉は世界をつなぐ平和の礎」ということでした。その一端でもお楽しみいただけましたら、私にとって、素晴らしいパートナーのシルビア・ゴンサレス先生、出演者であり助言者でもあったグレゴリー・サンブラノ先生、ベリ・ファリナ先生、マルタ・テンミョウ先生にとってもこの上もない喜びです。
皆さん、また逢う日まで、ごきげんよう!
Muchas gracias, amigos. Adiós, hasta pronto.

●放送は木曜日と金曜日、7:15~7:30(再放送は木・金14:45~15:00)です。
●インターネットで番組が聴けます。NHKラジオ「らじる★らじる」です。
アルゼンチンのラ・プラタ州の州都ラ・プラタ市(人口約54万人)は多くの日系人が暮らす都市として、また恐竜の化石を展示する「ラ・プラタ博物館」(1884年設立)、さらには「アジア太平洋地域研究科」や「日本研究センター」を擁する国立ラ・プラタ大学 (Universidad Nacional de La Plata: UNLP, 1905年創立、17学部、学生数7万5000人)を中心とした学術研究都市としても知られています。本学とラ・プラタ大学は学術協定を締結し、毎年1~2名(2020年3月にはスペイン語専攻の学生2名)が留学します。

今回の講座では日本とラテンアメリカの関係もたどりました。近代では、1874年に来日した「メキシコ金星天体観測隊」、1888年に締結した「日墨(メキシコ)修好通商航海条約」、「日秘(ペルー)通商航海条約」と「日伯(ブラジル)修好通商航海条約」(ともに1895年)、「榎本武揚メキシコ殖民団」と「日本・チリ修好通商航海条約」(ともに1897年)、「日亜(アルゼンチン)修好通商航海条約」(1898年)、日本人ペルー移住開始(1899年)そしてブラジル移住開始(1908年)などです。戦後期においては政府の海外移住振興政策によって、「日本ボリビア移住協定」(1956年)、「日本パラグアイ移住協定」(1959年)、「日本ブラジル移植民協定」(1960年)、「日本アルゼンチン移住協定」(1961年)が締結され、多くの日本人が南米諸国に渡り今日の日系社会を築いてきました。

なかでも日墨関係では、第二次世界大戦の終結後、日本の国際社会への復帰を願い、1951年に承認された国連総会決議をいち早く促進したのがメキシコでした。1952年には、のちのノーベル文学賞詩人オクタビオ・パス(Octavio Paz:当時は二等書記官)が在日公館長臨時大使として東京に着任、パスはのちに盟友であった外交官林屋永吉と松尾芭蕉『奥の細道』を「Sendas de Okuセンダス・デ・オク」としてスペイン語に翻訳、両国の学術文化交流の源泉となりました。そして1954年に「日墨文化協定」が締結、1964年の東京オリンピックに続く1968年のメキシコ・オリンピックを機に両国の交流はさらに促進され、1969年に「日墨通商協定」が調印、1971年に「日墨学生交流計画」(現行の「日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画」)が開始され(これまで両国の交換留学生は4千名をこえ、多くの本学学生が参加)、1981年に発足した「日墨友好基金」(いわゆる「大平(正芳)基金」)は日墨両国の学術文化交流を促す「文化の懸け橋」として今日に至っています。グローバル化時代にあって2004年には「日墨経済連携協定(EPA)」が調印され、北米自由貿易協定 (NAFTA)に代わる新たな三ヵ国貿易協定「米国・メキシコ・カナダ協定」(USMCA)そしてメキシコ・コロンビア・ペルー・チリの加盟国で「太平洋同盟」(Alianza del Pacífico)が推進されるなか、日本とメキシコさらにはラテンアメリカ諸国との政治経済関係そして友好と学術文化関係のあり方が模索されています。

また、日本とメキシコの大学・教育機関の長が一堂に会する「日墨学長会議」があります。第1回会議は2011年に東京大学で、第2回会議は2014年にグアナファト市およびアグアスカリエンテス市で開かれ、第3回会議は2017年に広島大学にて、第4回はメキシコシティにあるメキシコ国立自治大学 (Universidad Nacional Autónoma de México: UNAM、本学と同大学附属外国語・言語・通訳翻訳研究所Escuela Nacional de Lenguas, Lingüísticas y Traducción: ENALLTおよび政治社会学部 Facultad de Ciencias Políticas y Socialesは学術協定を締結し同学部に現在スペイン語専攻の学生2名が留学中)とメキシコ大学院大学のエル・コレヒオ・デ・メヒコ (El Colegio de México: COLMEX)を会場に開催され、「産官学連携」「研究連携」「連携の基礎としての学生交流」「未来志向の日墨間の大学交流」の取組みが推進されています。

榎本メキシコ殖民団が現地で編纂した「西日辞典 DICCIONARIO ESPAÑOL-JAPONÉS」をはじめ南米諸国に渡った日本人パイオニアは多くの「生きる証し」を刻んできました。学術文化交流も日本とラテンアメリカ諸国を結ぶ文化の絆です。灯された灯りは永遠に受けつながれなければならない....そんな思いを新たにした今回の「すばらしきラテンアメリカ ¡Américas fantásticas!」の旅でした。
講座の終わりに:旧世界と新世界の遭遇に想う
1521年8月13日、エルナン・コルテスが率いるスペイン軍によってアステカのクアウテモック王が捕えられ、大湖テスココに浮かぶアステカ王国の都テノチティトランは陥落しました。壮麗をきわめる「湖上の都市」は徹底的に破壊され、その瓦礫の上に「ヌエバ・エスパーニャ」(Nueva España「新しいスペイン」の意味)が創設されて、植民地統治の中枢としてメキシコ市が建設されました。アメリカ大陸の植民地化は、武力による「軍事征服」(conquista militar)とカトリック教会の布教活動によるキリスト教化すなわち「精神征服 (conquista espiritual)」の二元性をもって推進されましたが、とりわけ当初の軍事征服は頂点に達しました。征服はまさに、アメリカ大陸最強の軍事国家を築いたメシィカ(アステカ)人と、イスラム教徒との「レコンキスタ」(reconquista:国土回復運動)で果敢に戦った十字軍のごとく、その余勢を駆って領土拡張に雄飛していったスペイン人の、いわば2強大国の激しい衝突でした。それはまた、人種的にはモンゴロイドを起源とし、メソアメリカ高度文明を昇華させ頂点をきわめたアステカ人と、古代ギリシャ、ローマ帝国そしてイスラム文化の影響を大きく受けたキリスト教国スペイン人との、東西異質文明世界の衝突でもありました。

その源泉は、コロンブスによる新大陸の「発見」に端を発するヨーロッパ世界(旧世界)と新世界の遭遇にあり、最も顕著な現象は人口の激減でした。コロンブスが到来した1492年当時、カリブ海域に暮らしていた約300万人の先住民インディヘナはわずか約30年間で10数万人にまで減少、壊滅状態におちいったのです。アステカ王国が支配するメキシコ中央部の約2,500万人の民は、征服から100年後の1625年頃には100万人まで激減したといわれます。インカ帝国が繁栄をきわめた中央アンデス地域の約1,400万人の先住民は1530年頃にフランシスコ・ピサロによって征服されてから約半世紀後には250万人にまで減少したと推測されています。人口激減の原因は征服戦争あるいは植民地化における先住民の奴隷化などがあげられますが、最たる要因は、新大陸の先住民にとってはそれまで経験もなければ、従ってまったく免疫も持っていない、征服者(コンキスタドール)たちが持ち込んだチフス(tifus) やインフルエンザ(gripe、流行性感冒)そして麻疹(sarampión)などの疫病でした。なかでも天然痘(viruela)は猛威をふるい、アステカ皇帝のクイトラワクをはじめ膨大数のアステカの民が死亡、インカ皇帝のワイナ・カパックとその後継者をふくむ多くのインカ人の命が奪われ、新大陸の二大帝国は疫病の大流行(パンデミック)のまえにあえなく滅ぼされてしまったのでした。

スペイン植民統治時代にも伝染病によって多くの犠牲者がでました。征服から半世紀が経ったころ、メキシコ南部のオアハカ地方でイエズス会が布教活動を始めた1575年、ペストが大流行し、わずか一年間でおよそ200万人が死亡しました。その20年後の1595年にはメキシコ市で麻疹が大流行し多くの命が奪われたのです。その当時、麻疹は死病として恐れられ、白濁色のプルケ(pulque:リュウゼツラン(竜舌蘭maguey)の搾り汁を発酵させて作った酒)が治療薬として用いられ、疫病からの守護聖人サン・セバスティアンを祀る行列が行われ、教会や施療院のスペイン人修道士や神父も懸命になって治療にたずさわるも、その病は数年にわたってさらに猛威をふるい続け、スペイン人をふくむ多くの人々が亡くなりました。

1万3000年にわたる人類の歴史は、一面では、病原菌と感染症との戦いであったとも言えます。人間と文明の交錯の結果が、新大陸から世界中に蔓延した梅毒であり、中世のペストであり、1918~20年に大流行したスペインかぜでした。しかし人類は「知の免疫力」で乗り越えてきました。そして今、世界中に拡大する新型コロナウイルス感染も、人類の英知と英断と理性で克服していかなければならない....、半年間にわたって悠久の大地ラテンアメリカを巡った今、そんな思いがよぎります。傍らには、ジャレド・ダイヤモンド著『銃・病原菌・鉄』が開かれています。
Uruguay

コロニア・デル・サクラメント街並み

Uruguay

ため息通り コロニア・デル・サクラメント

Caminitoボカ地区

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エバ・ペロン墓碑

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カサ・ロサダ

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カビルド (旧市議会)

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コロン劇場

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サン・マルティン広場

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ラ・ボカの港

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五月広場

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国会議事堂

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国会議事堂を臨む

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夕暮れのブエノスアイレス港

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7月9日大通りに建つオベリスク

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