NHKラジオ・まいにちスペイン語「すばらしきラテンアメリカ ¡Américas fantásticas!」8月号が開講!!

「すばらしきラテンアメリカ ¡Américas fantásticas!」

本学外国語学部イベロアメリカ言語学科スペイン語専攻の柳沼孝一郎名誉教授とシルビア・ゴンサレス教授が担当するNHKラジオ・まいにちスペイン語(応用編)「すばらしきラテンアメリカ ¡Américas fantásticas!」が再放送されます。
歴史・文化・社会・人々の暮らし、その多様性が織りなす魅力あふれるラテンアメリカの国々を旅しながらスペイン語を学ぶ講座です。

■8月号は、アンデス山脈の国々、ペルーからボリビアそしてチリを訪れます。

●第33課「ペルーの首都リマにて」:放送7月29日(木)
眼下にうねるように光り輝く街の明かりが見えてきました。人口1000万人を誇るペルーの首都メガロポリス、リマの灯です。アンデス山脈に沿って南北に細長い海岸地帯は乾燥砂漠ですが、プレ・インカ時代の「ナスカの地上絵」でも知られ、綿花などの灌漑農業が盛んでリマなどの主要都市が集中している地帯でもあります。沖合にはフンボルト海流(またはペルー海流)が流れ、豊かな海洋資源をもたらしています。ペルーは漁業国としても知られていますが、とりわけアンチョビー(anchoaまたはanchova)は豊富で、魚粉(harina de pescado)に加工され家畜用飼料として輸出されています。海鳥グアナイ(guanay)の糞が堆積してできた、古代インカ時代から肥料として珍重され、外貨獲得の担い手でもある「鳥糞石(グアノ guano)」も無尽蔵にあります。アンデス山脈地帯はセロ・デ・パスコ鉱山に代表されるように鉱物資源が豊富です。ペルーは地下資源と海洋資源に恵まれた豊かな国なのです。
首都のリマLimaは、1535年にスペイン人征服者(コンキスタドール)のピサロ (Francisco Pizarro)によって建設され、ヌエバ・エスパーニャ副王領(現在のメキシコ)に次いで「ペルー副王領 Virreinato del Perú」が設置されて以来、スペイン領南アメリカの植民地支配の中枢として発展してきた都市です。Limaの名前は、インカの言語ケチュア語quechuaで「おしゃべり、話し好きな人」を意味するRímacがLimacとなり、Limaと言われるようになったそうです。早々に、「アルマス広場 Plaza de Armas」と呼ばれる中央広場に足を運びます。政庁舎(Palacio de Gobierno)の隣りには、「黄金郷 El Dorado」を求めて新大陸に渡ったピサロが自ら建立したといわれるカテドラルがあります。さらにアルマス広場から「ラ・ウニオン通り Jirón de la Unión」を歩いて「サン・マルティン広場Plaza de San Martín」まで散策します。スペインからチリを解放させたのち、ペルーを独立に導いたアルゼンチン人のサン・マルティン将軍を記念した歴史的な広場です。 スペイン風の木製のバルコニーをもつ植民地時代の町並みを見物して、途中、ピスコ・サワーで喉を潤しながら、セビチェ(cebiche:新鮮な魚の切り身、タマネギなど野菜の細切れをレモン汁であえた料理)で腹ごしらえします。そして、明日からのインカを訪ねる旅を想います。

●第34課「インカの都クスコ散策」:放送7月30日(金)
万年雪を頂いたアンデスの峰々を飛行機の窓外に眺めながら、日本とペルーの関係を考えているうちにクスコに降り立ちました。標高3500 mに位置し、インカ帝国の都として栄華を極めたクスコ(Cuzco)はケチュア語で「宇宙の中心」あるいは「人間のへそ」を意味します。伝説によれば、太陽神インティ(Inti)は人間に文明を授け、「太陽の帝国」を築くべく、息子のマンコ・カパック(Manco Cápac)と娘のママ・オクヨ(Mama Ocllo)をこの世に遣わしたといわれます。やがてティティカカ湖から出現した二人は13世紀頃にクスコ盆地にやって来て、太陽神殿(コリカンチャCoricancha)とも呼ばれる黄金宮殿を築き、王朝を開きました。それだけに往時を偲ばせる堅牢な石造建築物が今なお残っています。アルマス広場の前のラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会(Iglesia de la Compañía de Jesús)の角を曲がったところから、インカの面影を残す、細い石畳の「ロレト通りcalle Loreto」が太陽神殿までのびています。郊外の小高い丘の頂上には、巨石を組み上げて造られた城塞「サクサイワマンSacsayhuamán」の遺跡があります。そこでは毎年6月に、「インティ・ライミInti Raymi」と呼ばれる壮麗な太陽の祭りが開催されます。眼下には、ピューマの形に似せて造られたクスコの町がアンデスの風に吹かれて静かに横たわっています。

●第35課「マチュピチュへの道」:放送8月5日(木)
早朝にクスコを発って、ウルバンバ川(río Urubamba)流域に広がる「聖なる渓谷 Valle Sagrado」を巡る旅に出ます。インカ時代の遺跡が点在し、民芸品市でも有名なピサック(Písac)やチンチェーロ(Chinchero)の村を廻り、途中、とある民家に立ち寄った折に、勧められるがままに「チチャ」(chicha:トウモロコシを発酵させて作った濁酒)を馳走になります。ケチュア語で「豊穣の女神」を意味する大地母神「パチャママPachamama」に感謝の念をこめる意味で、大地に数滴たらしてから口にします。日常生活のなかで、農作業においても今日まで受け継がれてきたインカの習わしです。その後、緑豊かな渓谷の中ほどに位置するウルバンバ村を過ぎ、オリャンタイタンボ(Ollantaytambo)駅で山岳列車に乗り換え、一路、「マチュピチュMachu Picchu」遺跡を目指します。
しばらくして最終駅プエンテ・ルイナス(Puente Ruinas)に到着、バスに乗り換え、息を呑む断崖絶壁を眺めながら、急峻な山道を登りつめたところにマチュピチュはあります。ケチュア語で「老いた峰」を意味するマチュピチュは渓谷にそそり立つ峰の鞍部に築かれたインカの遺跡「空中都市」です。前方にそびえ立つワイナピチュ(Huayna Pichu:若い峰)と、周辺の斜面を覆う、トウモロコシやジャガイモを栽培する「アンデネス」(andenes:段々畑)を眺めながらさらに遺跡の中を進みます。やがて、生涯太陽の神に仕え、皇帝のために織物を織りつづけたアクニャ(「選ばれた女性」の意味)が暮らしていた「太陽の処女の館」が見えてきます。自然石を巧みに利用して作られた階段を登っては降り、降りては登り、一分のすき間もない見事としかいいようのない石造建築物の岩肌をなでながら進んで行くと「聖なる大広場」に出ます。目前には「インティ・ワタナ」(Intihuatana:「太陽とつなぐもの」の意味)が据えられてあります。遺跡の中を彷徨いながら、この世のものとは思えない永遠の聖都に身を置きしばらくして我に返ると斜面を這うように霧が流れてきます。マチュピチュは悲しくも、筆舌に尽くしがたいほど美しい遺跡です。

●第36課「ティティカカ湖の湖畔にて」:放送8月6日(金)
クスコの駅を早朝に発ち、海抜4000 mのアンデス高原アルティプラーノ(altiplano)を縦断する、ティティカカ湖畔のプーノまでの列車の旅も一興です。ひた走ること12時間、夕映えがアンデスの山々を黄金色にこがし、満天の星が夜空を征服するころプーノの瞬く灯が見えはじめ、やがて漆黒の世界がひろがります。ティティカカ湖です。創造神ウィラコチャ(Wiracochaまたはビラコチャ Viracocha)が降臨した聖なる大湖で、Titiはpumaを、kakaはcolor doradoすなわち「黄金色に輝くピューマ」を意味するといいます。古代メキシコのメソアメリカではジャガー(jaguar)が聖なる生き物として崇拝されていましたが、古代人の生き物に対する共通した畏敬の念に言いようのない因縁を感じます。あたり一帯は、「アマ・ユヤ」(ama llulla:嘘をつかず)、「アマ・スア」(ama sua:盗まず)、「アマ・ケヤ」(ama quella:怠けず)というインカ時代からの厳格な社会規律を重んじながら、共同体生活を営むアイマラ族(aimaraまたはaymara)の大地です。大いなる自然を敬い、自然の恵みに感謝しながら寡黙に生きる人々の、パチャママ(大地母神)とインティ(太陽の神)が宿る聖なるところでもあります。
プーノの沖合にはウロス島が見えます。ウル族は、湖畔の浅瀬に自生する葦の一種「トトラ」(totora)で巨大な浮島をつくり、家屋や葦舟トトラを造り、漁労と観光客相手にトトラで作った民芸品を売って生活を送る少数民族です。トトラでつくった畑で野菜を育て、トトラでつくった学校で、浮島の上を元気に走り回る子供たち、満々と水をたたえるティティカカを眺めながら人間の営為と英知に考えさせられます。

●第37課「ボリビアのラパスにて」:放送8月19日(木)
ティティカカ湖をフェリーで渡り、乗合バスはアンデス山地をひた走ります。突然、車中にどよめきが起こります。宝石を散りばめたような、瞬く夜景が見えてきたからです。ボリビアの首都ラパス(La Paz)の灯です。ボリビア(Bolivia)の国名は、この地域を独立解放したボリバル(Simón Bolívar)の名に由来します。やがてバスはコロニアルの雰囲気を今に残す旧市街地に着きます。スペインの植民地化と同時に建立されたサン・フランシスコ教会の角を登っている石畳の道が「サガルナガ通りcalle Sagárnaga」です。世界にその名をはせ、日本でもつとに有名な、チャランゴ(charango:アルマジロの甲羅を共鳴胴にした民俗弦楽器)の奏者エルネスト・カブール (Ernesto Cavour)が経営する、フォルクローレ(folclore:民俗音楽)の演奏が堪能できる店ペーニャ(Peña Naira)はこの通りにあります。乾いた大地をアンデスの風が吹き抜け、砂塵が天に舞う。目もあやな民族衣装も風に舞う。ユーカリの樹が風にそよぎ、アンデスの谷間に響くケーナ(quena)とサンポーニャ(zampoña)の音色は風の音か。太鼓の響きは大地の叫びか。チャランゴの奏でる音色はアンデスのせせらぎの音にも似て。アンデスの原風景は魅了してやみません。

●第38課「サンティアゴ・デ・チレにて」:放送8月20日(金)
スペイン人のバルディビア(Pedro de Valdevia)によって1541年に建設されたチリの首都サンティアゴ・デ・チレ(Santiago de Chile)が一望できる「サンタ・ルシアの丘 Cerro de Santa Lucía」に来ています。町が建設されると同時に要塞が築かれたところです。はるか彼方に霞む「サン・クリストバルの丘 Cerro de San Cristóbal」を眺めながら、『チリの実験』として知られるアジェンデ(Salvador Allende Gossens) 社会主義政権のこと、大統領の盟友でもあったノーベル賞詩人ネルーダ(Pablo Neruda)のこと、1897年(明治30年)に締結された日本チリ修好通商航海条約以来の日本との関係等々を思い巡らせながら丘を下ると、中央広場の「アルマス広場 Plaza de Armas」に出ます。その名は独立戦争時代に武器(armas)を手にして人々が広場に結集したことに由来します。さらに旧市街を縫って「憲法広場Plaza de la Constitución」まで足をのばします。正面に見えるのが「モネダ宮殿 Palacio de la Moneda」と呼ばれる大統領府で、かつては造幣局として使われていた建物ですが、1973年9月11日の軍事クーデターで、アジェンデ大統領みずから銃を取り激しく抗戦したすえに非業の最期をとげたところです。宮殿には国旗が風にはためき、静まりかえっています。どこからか、「アジェンデ!アジェンデ!」と連呼する民衆の叫び声が聞こえてきそうです。

●第39課「バルパライソ散策」:放送8月26日(木)
チリは、北部のアタカマ砂漠から大小無数の湖が点在する南部の針葉樹林地帯まで、アンデス山脈に沿って南北に細長い国です。はるか3500 km の太平洋上には、巨大石像モアイ(moais)で知られるイースター島(Isla de Pascua)があります。鉱物・海洋資源に恵まれ、社会保障制度が充実し、教育水準も高く、ノーベル文学賞の詩人ガブリエラ・ミストラル(Gabriel Mistral)、ネルーダ、作家のホセ・ドノソ(José Donoso)そしてイサベル・アジェンデ(Isabel Allende)などを輩出している国でもあります。今、太平洋を望むチリ最大の貿易港バルパライソ(Valparaíso)に来ています。その名の通り、“valle de paraíso”(天国の谷)を意味する港町です。近くには、一大音楽フェスティバルなどでも知られる、風光明媚な保養地ビーニャ・デル・マル(Viña del Mar)があります。アジェンデ大統領の遺体が長い間眠っていたところです。どこからか、ビオレタ・パラ(Violeta Parra)が切々と歌う“Gracias a la vida(人生よありがとう)” が聞こえてきます。チリワインを片手に、シーフードに舌鼓を打ち、ネルーダの詩集“Canto general(大いなる歌)”をめくりながら、さらに南へ、南米大陸最南端の、風の大地パタゴニア(Patagonia)の旅に想いを馳せます。

●第40課「トピック:インカ文明」:放送8月27日(金)
インカ(inca)とは、彼らの言語ケチュア語でインティ(inti:太陽)の子、すなわち「太陽の子」を意味し、唯一絶対的な権力者を指していました。インカ帝国は第9代皇帝パチャクティ・インカ(在位1438~1493)の時代に支配圏は最大限に達しました。北は現在のコロンビアの一部から南はチリやアルゼンチンまで支配下に置いたのです。インカ族が「タワンティンスーユ」(TawantinsuyuまたはTahuantinsuyuあるいは Tahuantinsuyo:4つの地方からなる世界)と称していたインカ帝国は、都クスコを中心に、「チンチャンスーユ Chinchansuyu」、「クンティスーユ Cuntisuyu」、「アンティスーユ Antisuyu」そして「コヤスーユ Collasuyu」に四分割されていました。スーユ(またはスーヨsuyo:州または地方)はさらに「ワンヌ(県)」や「サーヤ(郡)」の行政体に細分化され、最小単位は「アイユ ayllu」と呼ばれる血縁または地縁的な集団で構成されていました。タワンティスーユ全土には、交易活動と軍事目的から太平洋岸と山岳地帯を結ぶ道路網いわゆる「インカ道camino del Inca」が整備され、インカ道にはトンネルや階段や橋が架けられ、一日行程の間隔で「タンプ」(tampuまたはタンボtambo:宿場)が設けられ、皇帝の命令を全土に伝える「チャスキ chasqui」と呼ばれる飛脚が往来し、迅速なコミュニケーションが保たれていました。インカ帝国では文字に代わって、結び目で表す「キープquipu」と呼ばれる結縄文字が使用されていました。キープを作成し解読できるのは「キープ・カマヨ」と称される特権階層だけでしたが、人口調査や統計、穀物倉庫の備蓄量、軍の人数などあらゆるものを記録し、統計を保存していました。多文化・多言語国家であったインカ帝国ではケチュア語だけでなくアイマラ語や他の言語も話されていました。ケチュア語やアイマラ語はインカの共通語で、ペルー、ボリビア、エクアドルからチリ北部にいたるアンデス地方で今日まで日常的に用いられ、継承されてきたアンデスの遺産です。

A la carta “Américas fantásticas”

■日本とペルーの関係は1873年(明治6年)の日秘(ペルー)和親貿易航海条約仮締結に始まります。その後、1895年(明治28年)に「日秘通商航海条約」が締結され、1899年に第1回日本人移民790人が「佐倉丸」で太平洋岸のカヤオ港に到着、1923年まで約80回にわたり計1万8000人の日本人労働者が渡航し、戦前・戦後を経て今日の大規模な日系社会が形成されてきました。1917年にペルーに渡航し、のちにマチュピチュ遺跡の麓にあるマチュピチュ村の初代村長に任命された野内与吉(福島県出身、1895~1969)や、戦後ペルーに渡り、事業家のかたわらアンデス考古学研究に専念し、1964年に天野博物館を創設した天野芳太郎(秋田県出身、1898~1982)など、多くのパイオニアたちが太平洋をはさんだ両国の懸け橋となって、2011年に締結された「日本・ペルー経済連携協定(EPA)」に結実しています。

■ボリビアの首都ラパスに向かう途中にある「ティワナコ」(TiahuanacoまたはTiwanaku)は是非訪れたい遺跡です。紀元100~1200年に栄えた一大宗教センターで、精巧な石工技術を駆使した壮麗な建造物群からなる、プレ・インカを代表する遺跡だからです。カラササーヤ(Kalasasaya)と呼ばれる180m×135mの基壇に据えられた「太陽の門 Puerta del Sol」(笏杖を持った主神ビラコチャが上部中央に立ち、左右には翼のある48の神像が並んだ一枚岩でつくられた約4m×3mの門)は必見です。

■日本とボリビアは1914年(大正3年)に国交を樹立、戦後においては邦人入植の候補地として「サン・フアン移住地」が選定され、1956年(昭和31年)に「日本ボリビア移住協定」がラパス市で調印され、翌57年6月から同協定に基づく邦人のボリビア移住が開始され、政府間ベースによる「計画移住」が確立されました。

■アジェンデ大統領は1970年に社会党や共産党からなる「人民連合」を率いて、世界初の議会制民主主義による社会主義政権を樹立し、銅産業の無償国有化、民族資本による工業化、農地改革などいわゆる「チリ社会主義の実験」を断行しました。当時のチリの社会経済情勢は、反対派や多国籍企業に主導された組織的なボイコットによって最悪の状況にありました。その延長線上で軍事クーデターが勃発、この惨事を、姪のイサベル・アジェンデは自身の作品『精霊たちの家』のなかで書いており、映画『イル・ポスティーノ』(原作名は『ネルーダの郵便配達人』)でも描かれていますが、アジェンデ大統領は1973年9月11日に自ら命を絶ったのでした。

■『大いなる歌 Canto general』はネルーダが46歳のときの作品で、総領事として赴任先のメキシコから帰国する途中、マチュピチュを訪れた際に着想を得たものです。ラテンアメリカの大自然と民族史を主題にした12の詩からなる壮大な叙事詩です。傑作「マチュ・ピチュの頂き」も収められています。

●毎月末に講座の内容をご案内します。
●放送は木曜日と金曜日、7:15~7:30(再放送は同日・午後2:45~3:00、翌週・午前11:45~0:00)同日です。
●インターネットで番組が聴けます。NHKラジオ「らじる★らじる」です。

  • クスコ市街地を望む

  • ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会

    (クスコ)

  • ロレト通り

    (クスコ)

  • サクサイワマン

    (クスコ)

  • マチュピチュへ向かう高原列車

  • ウルバンバ渓谷

    (この奥にマチュピチュ遺跡がある)

  • アンデネス

    (段々畑、マチュピチュ遺跡)

  • インティ・ワタナ

    (マチュピチュ遺跡)

  • マチュピチュ遺跡

    (奥にワイナピチュが見える)

  • サンタ・ルシアの丘

    (サンティアゴ・デ・チレ)

  • アルマス広場に集結する民衆

    (サンティアゴ・デ・チレ 1990年8月)

  • モネダ宮殿

    (サンティアゴ・デ・チレ)

  • サンティアゴ・デ・チレ市街

  • キープ

    (結縄文字)

  • アンデス山麓

    (チリ)

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