メキシコ歴史文化講演会 日墨関係の源泉:「大航海時代の日本とメキシコの関係」(柳沼孝一郎 名誉教授)

メキシコ・日本アミーゴ会が主催する「メキシコ歴史文化講演会」が在日メキシコ大使館文化センター「エスパシオ・メヒカーノ」において、去る2025年7月3日、7月24日および8月7日の3回にわたって開催されました。当講演会は在日メキシコ大使館のメルバ・プリーア特命全権大使閣下はじめ各位のご理解と絶大なるご協力のもと、日墨の友好親善の促進とメキシコの理解を深める目的でメキシコ・日本アミーゴ会が毎年開催してきたものですが、コロナ禍発生以来約3年間中断しており、此度久方振りに開催が実現されたものです。
今回の講演会では、混迷する昨今の世界情勢にあって、それまで点でしかなかった国と国が結ばれ、人々の交流が激変し、現在言うところのグローバリゼーションが加速度的に進行したいわゆる「大航海時代」に焦点を当て、旧教国であるポルトガル及びスペインのイベリア両国の東アジアそして日本への進出、そこに新教国のイギリスとオランダが参画し「布教と貿易」をめぐって対峙するなかで展開された、その当時スペインの植民地としてヌエバ・エスパーニャ(Nueva España:新しいスペイン)と呼ばれた現在のメキシコ(墨国)と日本の関係、その歴史背景について、以下の3回に分けて解説されました。
今回の講演会では、混迷する昨今の世界情勢にあって、それまで点でしかなかった国と国が結ばれ、人々の交流が激変し、現在言うところのグローバリゼーションが加速度的に進行したいわゆる「大航海時代」に焦点を当て、旧教国であるポルトガル及びスペインのイベリア両国の東アジアそして日本への進出、そこに新教国のイギリスとオランダが参画し「布教と貿易」をめぐって対峙するなかで展開された、その当時スペインの植民地としてヌエバ・エスパーニャ(Nueva España:新しいスペイン)と呼ばれた現在のメキシコ(墨国)と日本の関係、その歴史背景について、以下の3回に分けて解説されました。
第1回 7月3日(木) 16:00~18:00
演 題:「大航海時代にメキシコ・ラテンアメリカに渡った日本人」
講 師:岡 美穂子(東京大学史料編纂所准教授)
講演概要:
大航海時代にヨーロッパ勢力を迎えた東アジアの一部としての日本が国際的な奴隷貿易の文脈にどのように関わっていたかを明らかにする。特にポルトガル人による日本人の奴隷貿易とその交易を主題とし、彼らが東南アジア、インド、果てはヨーロッパやラテンアメリカにまで連行されていた実態を、多言語史料を駆使して具体的に描き出す。日本国内の戦乱や飢饉による人身売買、戦場での捕虜の転売、女性や子どもの生け捕りによる奴隷化といった背景を丁寧に分析する一方で、奴隷売買を巡るキリスト教宣教師たちの葛藤や、イエズス会、日本の権力者たちの対応なども論じる。さらに、奴隷として連れ去られた日本人がメキシコ・ラテンアメリカ各地で記録され、現地文化に適応しつつ生き延びた事例にも触れ、単なる「被害者」像を越えた多面的な歴史像を提示する。
講 師:岡 美穂子(東京大学史料編纂所准教授)
講演概要:
大航海時代にヨーロッパ勢力を迎えた東アジアの一部としての日本が国際的な奴隷貿易の文脈にどのように関わっていたかを明らかにする。特にポルトガル人による日本人の奴隷貿易とその交易を主題とし、彼らが東南アジア、インド、果てはヨーロッパやラテンアメリカにまで連行されていた実態を、多言語史料を駆使して具体的に描き出す。日本国内の戦乱や飢饉による人身売買、戦場での捕虜の転売、女性や子どもの生け捕りによる奴隷化といった背景を丁寧に分析する一方で、奴隷売買を巡るキリスト教宣教師たちの葛藤や、イエズス会、日本の権力者たちの対応なども論じる。さらに、奴隷として連れ去られた日本人がメキシコ・ラテンアメリカ各地で記録され、現地文化に適応しつつ生き延びた事例にも触れ、単なる「被害者」像を越えた多面的な歴史像を提示する。
第2回 7月24日(木) 16:00~18:00
演 題:「大航海時代の日本とメキシコ1:メキシコ副王府の東アジア進出と豊臣秀吉政権との関係」
講 師:柳沼孝一郎(神田外語大学名誉教授)
講演概要:
ヨーロッパ世界にとってアジアは未知の領域であったが、マルコ・ポーロの 『東方見聞録』 によって黄金の島シパンゴ(Cipango:日本)をはじめカタイ(Cathay:中国)への関心が高まり、アジア到達が試みられた。加えて、ヨーロッパの爆発的な人口増加にともない経済活動と市場確保が活性化し、領土拡張に拍車がかけられた。そうしたなかで、イベリア半島からイスラム勢力を一掃した国土回復運動(レコンキスタReconquista)、ルネッサンスの興隆、さらに宗教改革を達成させた激しいエネルギーは冒険精神をかきたて、「大航海時代」が生まれた。それは、イベリア両国すなわち、ポルトガルのエンリケ航海王子によるアフリカ西岸探検、バルトロメウ・ディアスによる「喜望峰」の望見、ヴァスコ・ダ・ガマのインド到達、そしてスペインのイサベル女王とクリストフォロ・コロンボ(コロンブス)のアメリカ大陸到達を機に進展された。イベリア両国は、ローマ教皇アレクサンデル6世からの異教徒の地の発見と領有およびキリスト教化の奨励を背景に、1494年に締結された「トルデシリャス条約」を契機に世界を二分するかのように発見探検活動を展開し、東洋の富とりわけ香料を求めて乗り出していった。こうしてポルトガルはアフリカ大陸西岸を南下、喜望峰を迂回してインドに達する「東廻り航路」を拓き東アジア進出を遂げ、「西廻り航路」を駆ったスペインは、新大陸到達後にヌエバ・エスパーニャ Nueva España(「新しいスペイン」、現在のメキシコ)やペルーに確固たる植民地を築き、太平洋へと運動を移行させ、フィリピン諸島を領有し東アジア進出を遂げた。その延長線上で織田信長と豊臣秀吉の織豊時代から徳川幕府初期にかけてキリスト教の伝来と南蛮貿易を通して「南蛮文化」が伝播され「キリシタンの世紀」と呼ばれる一時代が築かれ、日本は中世から近世への移行期を迎えた。そのなかで、とりわけ豊臣秀吉政権はフィリピン・マニラ総督府に対して強硬な外交を展開していった。
日墨(メキシコ)400年の関係は、①源泉:大航海時代の日本とメキシコ、②基盤:近代における日本とメキシコ(メキシコ金星天体観測隊来日、日墨修好通商航海条約(対等平等条約)の締結、榎本武揚メキシコ殖民団、日系人社会の形成など)、③発展:戦後期から現代における日墨関係(駐日代理大使オクタビオ・パス来日、日墨文化協定、日本メキシコ通商協定、日墨経済連携協定 (EPA)、グローバル・パートナーシップ研修計画(日墨研修生学生等交流計画、日墨学長会議 Mexico Japan Rectors’ Summitなど)に時代区分されますが、今回は、①源泉について、以下の内容で、大航海時代におけるメキシコ副王府の東アジア進出、フィリピン領有から、マニラ総督府と豊臣秀吉政権の関係に到る歴史背景をたどります。
I. 大航海時代の幕開け: イベリア両国の東アジア進出の模索
II. スペイン王室の香料諸島への試行:
1.マゼランの世界周航 2.ロアイサ派遣隊
III. メキシコ副王府の東アジア進出:
1.エルナン・コルテスの香料諸島発見の試み 2.ビジャロボス遠征隊/ウルダネタの帰航路発見/レガスピのフィリピン諸島領有とマニラ建設
IV. 織豊時代とイベリア両国:
1.ザビエルの日本渡来 2.ヴァリニャーノ日本巡察師と天正少年遣欧使節 3.布教と貿易(キリスト教と南蛮貿易)
V. 豊臣秀吉とマニラ総督府の関係: 朝貢外交、サン・フェリペ号事件、長崎二十六聖人殉教
講 師:柳沼孝一郎(神田外語大学名誉教授)
講演概要:
ヨーロッパ世界にとってアジアは未知の領域であったが、マルコ・ポーロの 『東方見聞録』 によって黄金の島シパンゴ(Cipango:日本)をはじめカタイ(Cathay:中国)への関心が高まり、アジア到達が試みられた。加えて、ヨーロッパの爆発的な人口増加にともない経済活動と市場確保が活性化し、領土拡張に拍車がかけられた。そうしたなかで、イベリア半島からイスラム勢力を一掃した国土回復運動(レコンキスタReconquista)、ルネッサンスの興隆、さらに宗教改革を達成させた激しいエネルギーは冒険精神をかきたて、「大航海時代」が生まれた。それは、イベリア両国すなわち、ポルトガルのエンリケ航海王子によるアフリカ西岸探検、バルトロメウ・ディアスによる「喜望峰」の望見、ヴァスコ・ダ・ガマのインド到達、そしてスペインのイサベル女王とクリストフォロ・コロンボ(コロンブス)のアメリカ大陸到達を機に進展された。イベリア両国は、ローマ教皇アレクサンデル6世からの異教徒の地の発見と領有およびキリスト教化の奨励を背景に、1494年に締結された「トルデシリャス条約」を契機に世界を二分するかのように発見探検活動を展開し、東洋の富とりわけ香料を求めて乗り出していった。こうしてポルトガルはアフリカ大陸西岸を南下、喜望峰を迂回してインドに達する「東廻り航路」を拓き東アジア進出を遂げ、「西廻り航路」を駆ったスペインは、新大陸到達後にヌエバ・エスパーニャ Nueva España(「新しいスペイン」、現在のメキシコ)やペルーに確固たる植民地を築き、太平洋へと運動を移行させ、フィリピン諸島を領有し東アジア進出を遂げた。その延長線上で織田信長と豊臣秀吉の織豊時代から徳川幕府初期にかけてキリスト教の伝来と南蛮貿易を通して「南蛮文化」が伝播され「キリシタンの世紀」と呼ばれる一時代が築かれ、日本は中世から近世への移行期を迎えた。そのなかで、とりわけ豊臣秀吉政権はフィリピン・マニラ総督府に対して強硬な外交を展開していった。
日墨(メキシコ)400年の関係は、①源泉:大航海時代の日本とメキシコ、②基盤:近代における日本とメキシコ(メキシコ金星天体観測隊来日、日墨修好通商航海条約(対等平等条約)の締結、榎本武揚メキシコ殖民団、日系人社会の形成など)、③発展:戦後期から現代における日墨関係(駐日代理大使オクタビオ・パス来日、日墨文化協定、日本メキシコ通商協定、日墨経済連携協定 (EPA)、グローバル・パートナーシップ研修計画(日墨研修生学生等交流計画、日墨学長会議 Mexico Japan Rectors’ Summitなど)に時代区分されますが、今回は、①源泉について、以下の内容で、大航海時代におけるメキシコ副王府の東アジア進出、フィリピン領有から、マニラ総督府と豊臣秀吉政権の関係に到る歴史背景をたどります。
I. 大航海時代の幕開け: イベリア両国の東アジア進出の模索
II. スペイン王室の香料諸島への試行:
1.マゼランの世界周航 2.ロアイサ派遣隊
III. メキシコ副王府の東アジア進出:
1.エルナン・コルテスの香料諸島発見の試み 2.ビジャロボス遠征隊/ウルダネタの帰航路発見/レガスピのフィリピン諸島領有とマニラ建設
IV. 織豊時代とイベリア両国:
1.ザビエルの日本渡来 2.ヴァリニャーノ日本巡察師と天正少年遣欧使節 3.布教と貿易(キリスト教と南蛮貿易)
V. 豊臣秀吉とマニラ総督府の関係: 朝貢外交、サン・フェリペ号事件、長崎二十六聖人殉教
第3回 8月7日(木) 16:00~18:00
演 題:「大航海時代の日本とメキシコ 2:徳川家康幕府とメキシコ副王府の関係」
講 師:柳沼孝一郎(神田外語大学名誉教授)
講演概要:
織田信長および豊臣秀吉すなわち織豊時代から徳川幕府の初期にかけてキリスト教が伝来し、南蛮貿易を通して「南蛮文化」が伝播されて「キリシタンの世紀」(切支丹Cristiano:キリスト教徒)と呼ばれる一時代が築かれ、日本は中世から近世への移行期を迎えた。そうしたなかで徳川家康幕府は、マニラ総督ロドリゴ・デ・ビベロRodrigo de Vivero y Velascoが幕府に呈した通商開始および鉱山開発・技術援助に関する「協定案Capitulaciones」に対して、「平和協定条項 Capitulaciones y asientos de Paz」を提示、スペイン人宣教師ルイス・ソテロ Luis Soteloを通商交渉全権大使に起用して、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)副王府およびスペイン王室との外交交渉に着手した。それに対してメキシコ副王府はセバスティアン・ビスカイーノSebastián Vizcaíno使節を日本に派遣し、のちに奥州王・伊達政宗は宣教師ルイス・ソテロを随行させ、支倉常長遣欧使節をメキシコそしてスペインに派遣するなど、華々しい外交関係が展開された。それはまた、イベリア両国が「布教と貿易」の連繋構造のもとで日本における布教権と通商権をめぐって対立、そこにオランダ・イギリスの両国が介入するという、スペイン・ポルトガルの旧教国とオランダ・イギリスの新教国が日本国内の宗教と貿易権をめぐり激しく対峙するなかでくり広げられ、その結果として徳川幕府は「鎖国政策」を断行するにいたった。
今回は、前回に続き、①日墨関係の源泉について、以下の内容で、マニラ総督ビベロの対幕府「協定案」の構想、徳川幕府とメキシコ副王府およびスペイン王室との外交関係、さらにメキシコそしてスペインを経由してローマにまで渡った支倉常長慶長遣欧使節の歴史的意義について解説し、総括として、近現代における日墨関係の変遷を概観します。
I. 徳川家康幕府とマニラ総督府
II. ロドリゴ・デ・ビベロと徳川家康: ビベロの対幕府 『協定案』
III. 徳川幕府とメキシコ副王府: 宣教師ソテロと幕府の 『平和協定条項』
IV. セバスティアン・ビスカイーノ遣日使節と徳川幕府
V. 支倉常長遣欧使節の足跡と歴史的意義:鎖国への序章
講 師:柳沼孝一郎(神田外語大学名誉教授)
講演概要:
織田信長および豊臣秀吉すなわち織豊時代から徳川幕府の初期にかけてキリスト教が伝来し、南蛮貿易を通して「南蛮文化」が伝播されて「キリシタンの世紀」(切支丹Cristiano:キリスト教徒)と呼ばれる一時代が築かれ、日本は中世から近世への移行期を迎えた。そうしたなかで徳川家康幕府は、マニラ総督ロドリゴ・デ・ビベロRodrigo de Vivero y Velascoが幕府に呈した通商開始および鉱山開発・技術援助に関する「協定案Capitulaciones」に対して、「平和協定条項 Capitulaciones y asientos de Paz」を提示、スペイン人宣教師ルイス・ソテロ Luis Soteloを通商交渉全権大使に起用して、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)副王府およびスペイン王室との外交交渉に着手した。それに対してメキシコ副王府はセバスティアン・ビスカイーノSebastián Vizcaíno使節を日本に派遣し、のちに奥州王・伊達政宗は宣教師ルイス・ソテロを随行させ、支倉常長遣欧使節をメキシコそしてスペインに派遣するなど、華々しい外交関係が展開された。それはまた、イベリア両国が「布教と貿易」の連繋構造のもとで日本における布教権と通商権をめぐって対立、そこにオランダ・イギリスの両国が介入するという、スペイン・ポルトガルの旧教国とオランダ・イギリスの新教国が日本国内の宗教と貿易権をめぐり激しく対峙するなかでくり広げられ、その結果として徳川幕府は「鎖国政策」を断行するにいたった。
今回は、前回に続き、①日墨関係の源泉について、以下の内容で、マニラ総督ビベロの対幕府「協定案」の構想、徳川幕府とメキシコ副王府およびスペイン王室との外交関係、さらにメキシコそしてスペインを経由してローマにまで渡った支倉常長慶長遣欧使節の歴史的意義について解説し、総括として、近現代における日墨関係の変遷を概観します。
I. 徳川家康幕府とマニラ総督府
II. ロドリゴ・デ・ビベロと徳川家康: ビベロの対幕府 『協定案』
III. 徳川幕府とメキシコ副王府: 宣教師ソテロと幕府の 『平和協定条項』
IV. セバスティアン・ビスカイーノ遣日使節と徳川幕府
V. 支倉常長遣欧使節の足跡と歴史的意義:鎖国への序章

略歴:メキシコ国立自治大学(UNAM) 哲文学部大学院歴史研究科修士課程修了、メキシコ近現代史専攻。日本イスパニア学会理事、日本放送協会(NHK) テレビ・ラジオスペイン語講座講師、放送大学千葉学習センター客員教授、神田外語大学副学長などを歴任。現在、神田外語大学理事・名誉教授およびメキシコ日本アミーゴ会幹事。
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