外国語教育

【中国】外国語教育政策の立ち後れに地域や貧富の差が重なって
中国の外国語教育事情

中国でも、ほとんどの地域で小学校から英語が教えられています。朝鮮族の住む一部の地域では、日本語が第一外国語となっているところもあります。 中国社会として、英語の必要が拡大しているのは事実です。就職にも大変有利ですから、大学生は積極的に勉強します。経済的に豊かな人たちの間では、留学もブームです。 ただ、中国の外国語教育の歴史は浅く、わたしの父母の時代にはありませんでした。教育制度も地域や時期によってバラバラでした。ちなみにわたしの場合は、小学校5年生のときから英語の授業がありました。でも、弟のときは中学からになっていたのです 教師のレベルもまちまちでした。都会なら、英語や英語教育を専攻した先生がいるでしょう。でも田舎では、ただ大学出というだけで英語を教えることになる先生もいます。そんなこともあって、富裕層では、英語にかかわらずどんな科目でも、家庭教師を家に招いて子どもの教育を見てもらうということが流行っています。 青野 英美先生

【韓国】ほかの国の第一・第二外国語ってどうなってるの
韓国の外国語教育事情

朝鮮戦争のとき、米軍が韓国に入ってきました。英語教育が重視されるようになったのは、そこからです。戦争が終わって国が荒廃していた時代に、アメリカは力の象徴であり、富の国でした。そして、アメリカの言語・英語が社会的に成功する一つの鍵だと、考えられるようになったのです。グローバル社会で活躍できる人材を育てるには、教育が不可欠。そういう共通認識ができ始め、英語教育の重要性は増すようになりました。国際社会で競争するための道具として、英語は学校教育の最重要科目と位置づけられています。 97年からは、小学校でも英語が必修科目となり、これまで以上に学歴重視の競争社会になりました。小さいときから塾に通うことは珍しくなく、経済的に余裕があれば英語圏へ短期・長期留学するケースもあります。この場合、母親が子どもについて行き、父親は韓国に残って送金する役です。その苦しさから自殺する人も出て、社会問題にもなりました。 パク・シウォン先生

【インドネシア】さまざまな試みが行われている
インドネシアの外国語教育事情

インドネシアでは、1993年からカリキュラムに英語が入ってきました。いまは、小学校1年生から英語の授業があります。就職に関しても、英語は文化系のなかでは一番求められるスキルです。塾に通って、仕事に早く就けるよう努力する学生は少なくありません。英語ができる人はエリートと見られるので、みんな必死です。カラオケも、英語の歌が歌えるカラオケに行ったりします。 かつて、インターナショナル・スクールという国立の学校が作られたことがありました。数学も歴史もインドネシア語の授業も、すべて英語で行うのです。小学校から高校まで2~3校ずつできました。全寮制で優秀な子どもたちを教育します。これは画期的な試みでしたが、6年で終わってしまいました。全員にパソコンを持たせ、教科書、参考書も外国の本を使うというやり方は、親にも政府にも負担が大き過ぎたようです。 スヨト先生

【ベトナム】90年代にロシア語中心から英語に変わった
ベトナムの外国語教育事情

ベトナムでは80年代までは、ロシア語が第一外国語でした。90年代に入ってソ連崩壊が起こると、英語に変わったのです。わたし自身も中学校からロシア語を勉強していました。英語の授業になったのは、第11学年(高校2年)からです。 いまでは第1学年(小学校1年)から英語の授業があります。私立では、それより1年早く始めるところもあるくらいです。富裕層の間では、留学も増えています。ただ、一般の人々は、奨学金を取る以外の留学は考えにくい状況です。 ベトナム社会でも、英語が使えれば就職や昇進に有利です。でも、英語のできるできないで、全てが決まるというほどではありません。 学校で英語の次に勉強されている外国語は、フランス語でしょう。これは、フランス政府から援助が出ていることも影響しています。以前、第一外国語だったロシア語は少なくなり、中国語、日本語、韓国語を勉強する人も増えています。 グェン・ティ・トゥイエン先生

【タイ】ASEANの経済共同体に向けて、外国語教育を強化
タイの外国語教育事情

タイでは、通常、英語は中学に入ってから勉強します。以前は、公立学校のレベルがよくなかったので、ミッション系私立学校の教育の方が進んでいました。そこでは小学校から英語をやっていたのです。 でも、いまは公立の方がよくなってきました。進学競争や、PTAの発達、寄付などが影響しているようです。有名大学合格者の出身校が発表されると、みんなそこに入りたがるようになりました。 また、英語に加えて、もう一つ外国語をやるのが普通です。以前は、フランス語かドイツ語が主流でした。いまは中国語や日本語を選択する人も増えています。外国語教育に関して見逃せないのは、ASEANが2015年までに経済共同体(AEC)の実現を目指しているということです。 これが成立すれば、各国との緊密な連絡がより必要となるでしょう。そういう意味でも、英語の必要性は増していて、政府も政策の一つとして力を入れています。 ポンシー・ライト先生

【スペイン】「英語もスペイン語も国際的な言語
スペインの外国語教育事情

スペインでは、小学校3年生から英語を勉強します。授業は日本と似ていて、まず文法からというやり方です。わたしの記憶では、文法ばっかりやっていた感じがします。ちなみに、スペインで学ぶのはイギリスの英語です。 また、1996年からは、中学校で第二外国語を取れることになりました。選べる言語は州によって違いますが、フランス語とドイツ語はどこでも取れます。 スペインの社会でも、英語とフランス語が使える人はエリートというイメージがあるでしょう。でも、人々の感覚は日本とはちょっと違っています。スペイン語は、英語と同じように国際的な言語です。スペイン人なら、すでに国際的言語を一つ使えるわけです。ですから、なんとしても英語を習得しなければということではありません。実際に、英語を喋れるスペイン人はそんなに多くありませんし、普通に就職する場合なら、絶対必要というわけでもないのです。 ハビエル・カマチョ先生

【ブラジル】外国語を使える人材養成を強化中
ブラジルの外国語教育事情

ブラジルで、生徒がはじめて習う外国語は英語かスペイン語です。小学校3年生の頃から授業が始まります。文法から勉強していくやり方で、クラスの人数が多いので、会話の授業はあまりありません。先生もネイティブではありませんし、日常で使うことは少ないので、義務教育だけで外国語が使えるようになるのは難しいでしょう。 外国語の塾にも通う生徒も少なくありません。実際、わたし(今里)のクラスの半分くらいは、英会話の塾に通っていたと思います。でも、こうした事情は、地域や学校によって大きく変わってくるのです。 ブラジルにおける教育の歴史を見ると、1964年から続いた軍事政権下は、外国語教育の空白期間でした。1989年に民主化されると外国語教育が再開され、1996年になってやっと外国語教育が法律化されました。そのため、外国語教育に関しては立ち後れがあったのです。ワールドカップやオリンピックが控えているので、そういう意味でも、外国語の必要性を感じている人が増えています。 アリーネ・アントゥネス先生/今里 カズエ先生

【メキシコ】アメリカと隣り合うことで 起こるさまざまな事情
メキシコの外国語教育事情

メキシコは隣国がアメリカですから、英語が一番近い外国語です。もちろん、必要性という意味でも重要な言語で、いまは中学から英語の授業があります。 また、歴史的な事情もあるのです。19世紀に、メキシコ北部の領土をめぐって、アメリカ・メキシコ戦争が起こりました。その結果、この地域に住んでいたメキシコ人は、突然アメリカ人にされたわけです。 移民の問題もあります。わたしの母は8人兄弟です。そのうち7人はアメリカ人になり、母だけがメキシコに残りました。アメリカに住むメキシコ系の人々はチカーノと呼ばれ、英語もスペイン語も話します。彼らの英語はスペイン語の混じった独特なもので、その文化もチカーノ文化と呼ばれています。 現在、メキシコ北部に住む人は、たいてい日常的な英会話ができます。彼らは小さい頃から、英語を身近で見聞きしているので、学校で習う前から使えるのです。 シルヴィア・ゴンサレス先生

【アルゼンチン】ちょっと前までフランス語。いまは英語
アルゼンチンの外国語教育事情

英語を必修で勉強するのは、現在、世界のほとんどの国で同じでしょう。アルゼンチンでも、いまでは中学・高校で英語の授業があります。 でも、英語が第一に習うべき外国語になったのは、そんなに昔ではありません。わたしの若い頃は、フランス語が一番大切な外国語でした。英語は、大学の第二外国語でやるという感じです。わたし自身はドイツ語をとりました。わたしの専門である哲学では、ドイツ語が重要な言語でしたから。 1960年くらいまでは、日本の外務省や外交官の間でも、フランス語とドイツ語が重要だったと思います。 フランス語が重要視されていた理由は、パリが世界の文化的メッカであり、そういう意味で国際社会の中心だったからです。アメリカにはそういう意味での魅力がなかったのです。 アンヘル・ブラーボ先生