第101回 – 第110回 (2008年11月~2009年7月)

第101回 - 第110回

2008年11月~2009年7月

第101回 (2008年11月)
埼玉県の川口市は「キューポラのある町」として有名です。同名の映画もありました。林立する「キューポラ」は、町全体を溶けた鉄の香りでおおうと言われていました。その「キューポラ」は英語で cupola と綴ります。「溶鉱炉」の意味ならばこれに「炉」 furnace をつけてcupolafurnace というのが正式です。というのも cupola とはもともと丸屋根の上にそびえる「塔」を指すことばで、「丸天井」もキューポラですし、軍艦やトーチカの「回転砲」もキューポラで、「溶鉱炉」とは無関係で、形をあらわすに過ぎないからです。Cupola の語源はラテン語 cupa の縮小形 cupula で、これがイタリア語に入って「小樽」や「小さな丸天井」を意味する言葉として使われ、これを英語がイタリア語から借用したもののようで、借用の年まで1549年と特定されている珍しい例です。ところで意外なことに、「コップ」を意味する英語の cup も同じラテン語の cupa の俗ラテン語形 cuppa 言葉です。大きさこそ違え、たしかに形は関係していますね。 石井米雄
第102回 (2008年12月)
新聞で、ある政治家が「協同」とか「共働作用」の意味で「シナジーsynergy」というむずかしい英語を使ったと書いてあったのを見ておどろきました。辞書によると、このことばはもともと医学用語で、「(器官の)共働作用」、「(薬品などの)相乗作用」を意味する術語です。語源はギリシャ語の からラテン語の synergia を経て synergy の形で英語に入ったもの。ギリシャ語 synergein という動詞からの派生語で、syn-「共に」ergon「働き」を組み合わせてできた言葉です。医学とは別ですが、同じ語源の神学用語に synergism という、これまたむずかしい術語があります。協力するのは人と神ということですが、「回心には神の恩恵だけでなく人間の意志の存在が必要だとする考え方」を示す言葉で、「共働説」とか「神人協力説」という訳語がつけられています。もし与野党の協力が1+1=2より大きくなることを念願して使ったのだとすれば、なかなか味のあることばといえるのではないでしょうか。 石井米雄
第103回 (2009年1月)
若者に人気抜群の「ジーンズ」。物によっては10万円以上もするという高価なパンツに、これ見よがしに穴をあけている姿を見ていると、昔旧制高校生が、真新しい学帽をわざわざ破いて、そこから髪の毛がはみ出ているのを格好がいいとしていた時代を思い出します。「ジーンズ」は、生地の青いblue jeans を省略したものですが、昔はje(a)ne fustian と呼ばれていました。Fustian とは「目の粗い生地」のことで「(エジプトのカイロ近郊の) Fostat から輸出された生地」であることからこう呼ばれたのですが、fustian はのちに落ちてしまいます。ところで「ジーンズ」の方ですが、これは生地とは無関係。中世フランス語の Gene Genoa に由来する地名で、この生地の生産地であったイタリアのジェノアを指します。jean ないし jeans といえば、丈夫な細綾織の綿布を指しますが、それがこの綿布でつくったパンツを指すようになったわけです。「ジー・パン」はもちろん和製英語。 石井米雄
第104回 (2009年2月)
O.K. という略語。日本人なら子供でも知っているこのことばの語源は意外なものです。1840年といいますから今から170年近く以前のアメリカでの話。民主党から大統領候補者として立候補した Martin Van Braun (1782-1862) の応援クラブが O.K.Club と呼ばれたのがはじまりといわれています。O.K. はoll korrect の略で、正しくはもちろんall correct。このクラブは、ブラウン候補者のニックネーム Old Kinderhook にちなんつけられました。ちなみに8代目のアメリカ合衆国大統領となるブラウン候補者の故郷は、New York 州 Albany に近い Kinderhook でした。近代になって最初の政治キャンペーンといわれたこの選挙戦で、ブラウン候補者は最初劣勢に立たされていましたが、語呂のいい O.K が支援者の口から口へとつたえられ、やがてO.Kは「すべて良し」を意味するようになったということです。もっともこの語源説には、近年異論もでているようで、議論はまだ続いています。 石井米雄
第105回 (2009年3月)
マンションなどの借り主を意味する「テナントtenant」は日常使われる日本語になってしまいました。この語は、「保持する」を意味するラテン語tenere の現在分詞形tenantを、古代フランス語を経由して借用したものです。「(理論などが)批判にたえる」、「(陣地などが敵の攻撃に)たえる」 という意味のtenable や、「(性格が)粘り強い」を意味する形容詞tenacious、その名詞形tenacity も同語源です。意外なのはスポーツのテニスtennisがこれらの仲間であることです。Tennis は14世紀にイタリア経由で英国に紹介されたゲームで、古代フランス語のtenir の命令形tenetz が近代英語に入ってtennis と綴られるようになったもの。サーバーが相手にかけた声「(ラケットを)握れ!」に由来すると考えられています。もっとおもしろいのは声楽のテノールtenor で、これも語源をたどれはtenere に行き着きます。テノールはメロディを「保持する声」だからです。 石井米雄
第106回 (2009年4月)
「カーナビ」を付けた自動車が増えてきました。「カーナビ」とは英語のcar-navigationの日本流の略語です。Navigationの語源は、ラテン語のnavis(船)とig-<agere(進める)で、もともと船の航行に関して言われたものです。これはnavy が「陸軍」のarmy 「空軍」のair forceに対し「海軍」を意味していることからもわかるでしょう。Navigator といえば「航海者」のこと、navigable は「(船が)航行できる」ということでした。それがのちに意味が拡大し、自動車など陸上を走るものにも使われるようになり、一般に「操縦する」、「進む」を意味するようになっています。ちなみにNavigation chartは「海図」だけでなく、飛行機の「空路図」をも指します。Navigable は「(川や海が)航行可能である」という意味ですが、それだけでなく「(気球が)操縦できる」ことにもなります。さらに意味がひろがってnavigate は「操縦する」だけにとどまらず、navigate a bill through Parliament といえば「(法案を)国会で通過させる」ことにまで拡張しているのは面白いですね。 石井米雄
第107回 (2009年5月)
最近「国連安全保障理事会」の名がしばしばメディアに登場します。原語はSecurity Council。「security安全」はsecure の名詞形ですが、もとをたどるとラテン語のsē-cūraにいきつきます。sēは[~から自由であること]、cūrāはcuraの奪格形(~から)。両方あわせて「危険から自由であること」すなわち「安全を保障すること」となります。Security measures は「保安対策」、security guard は「保安要員」。「保証するもの」という意味から、「担保(物)」「抵当(物)」、なども意味するようになり、それからgovernment securities「国債」も生まれています。これらとは一見無関係にみえますが、さかのぼれば語源を共通にする英語に、sure があります。Sure はラテン語cūra「困難、災難」の形容詞形cūrsus に「~から自由な」を意味するsēがついて、「確かな、安全な」を意味するようになりました。この語の名詞形surety も、「保証(金)」、「担保、抵当(物件)」、「(連帯)保証人」などを指します。 石井米雄
第108回 (2009年6月)
「豚インフルエンザ」が世界的に流行しました。この用語は日本のメディアでは「新型インフルエンザ」と変わりました。事情は英語圏でも同じで、はじめはswine fluと呼ばれていましたが、流行域が拡大するにつれテレビの画面ではglobal flu と書かれるようになりました。いうまでもなくfluはinfluenza の短縮形です。Influenzaは、1743年、ヨーロッパで流感が大流行したとき英語、に採用されたイタリア語からの借用語です。ちなみにinfluenza は英語のinfluence と語源が同じで、いずれもラテン語influentem(influensの対格形)に由来し、原義は「流れ」です。Influenceは14世紀ごろから使われ始めた占星術の用語で、天体から流れてくる霊液が、人の運命に影響をあたえるという考え方にもとづくものでした。それが一般に影響をあたえることを意味するようになりました。Influencial personといえば、政治家など、強い影響力をもった有力な人をさします。アメリカでは、顔をきかせて第三者のために官庁などとの商談をまとめる人をinfluence peddler というようですが、peddlerがもともと「行商人」「大道商人」を意味することを考えると、面白い表現もあったものですね。 石井米雄
第109回 (2009年6月)
新型インフルエンザの世界的大流行で、WHOはフェーズ6の「パンデミック」を宣言しました。この言葉の綴りはpandemic.ギリシャ語からの借用で、pan-は「すべて」、demic はdemos 「人々」ということ。「疫病がすべてのひとびとの間にひろがること」を意味します。Demosが人を指す例としてdemocracyがあります。言うまでもなく「民主主義」です。ここでいう-cracy は、ギリシャ語ではkratosとつづられ「支配」を意味します。Panのほうですが、これに「汎」の字があてられることがあります。Pan-African 「汎アフリカ」や航空会社名の「パンアメリカン」Pan-American がその一例です。Pan といえば、日本でもなじみ深いことばの「パノラマ」もこれにあたります。Panorama はpan-とhorama からなります。horama は「光景」ということですからあわせて「前景」あるいは「連続して移り変わる光景」を指します。「パンテオン」もこれと関係することばです。Pantheonはpan「すべての」、theon<theion「神々」ということ。the Pantheonといえば世界最大の石造ドームとなったローマの「パンテオン」を指します。 石井米雄
第110回 (2009年7月)
インフルエンザなどが大流行したとき、現場で病人に優先順位をつけることで救える命を極大化することを「トリアージュ」といいます。フランス語triage からの借用語です。Triage は「(良いものだけを)選別する」を意味する古代フランス語の動詞trierの名詞形です。Trier は、「(最良の人材を)選び出す」「(最高の)良書を選別する」ことで、名詞形としては「(石炭から鉱石を分離する」選鉱」や「(紙を連にまく前に汚れたり破れたりした部分を取り除く)屑紙切除)や「(鉄道の)車両編成」などの意味でつかわれていました。第一次世界大戦のときには、triage とは負傷兵を傷の重さによって三つのグループに分けるという軍隊用語でした。その後時代とともにその用法は拡張され、1974年までには飢饉のとき、限られた食糧資源を緊急度によって配分することも意味するようになっていましたが、新型インフルエンザの世界的規模での流行にともない、限られた数の医療施設や、医者や、ウィールスなどをどう配分するかが課題となりふたたび「トリアージュ」という言葉がテレビや新聞紙上に登場するようになったわけです。 石井米雄