第61回 – 第70回 (2005年8月~2006年5月)

第61回 - 第70回

2005年8月~2006年5月

第61回 (2005年8月)
逝去されたローマ法王の後任選出をめぐって、conclave という見慣れない単語がニュースに登場しました。辞書には「(枢機卿による)法王選挙会議」という訳がありますが、その語源はなんでしょうか。このことばはラテン語のconとclave からなっています。Con はwith、clave はkey ですから、「鍵の付いた(部屋)」を意味しています。枢機卿が、ひとりひとりそこに入って投票する小部屋には、鍵がついていることからこの言葉が生まれたこととが想像されます。Clave は英語のclavier 「鍵盤」やピアノの前身となったclavichord のなかに残りました。すこしむずかしい言葉ですが、解剖用語の「鎖骨」はclavicle といいます。Clave はフランス語に入ってclef となりましたが、これは英語ではC clef 「ハ音記号」G clef 「ト音記号」のように、音楽の音部記号としてつかわれています。 石井米雄
第62回 (2005年9月)
考古学的時代区分に「旧石器時代」「新石器時代」の別のあることはご存知でしょう。英語ではpaleolithic age, neolithic ageといいます。Paleo- (palaeo-)とneo- は、それぞれ「古い」「新しい」を意味するギリシャ語です。Paleography(古文書学)、paleontology(古生物学)、neoclassicism(新古典派)やneoplatonisum「新プラトン主義」などのように用います。一方lithicですが、これはギリシャ語のlithosからの借用語で、「石」を意味します。Lithography は「石版画」、lithology は「岩石学」。日常使われる言葉にはmonolithic があります。Mono-は「単一の」を意味するギリシャ語ですので、monolithic といえばもともと「一枚岩の」を意味しましたが、そこから転化して「首尾一貫した」、「異論のない」からさらには「継ぎ目のない」を意味するようになりました。最近進歩の著しい電子工学で「半導体集積回路」をmonolithic circuit というのは、一枚の半導体基板上に作りつけれられた電子回路だからでしょうか。 石井米雄
第63回 (2005年10月)
手紙の冒頭などにre とあるのを見たことがありますか?「~について」という意味で用いられますが、この字は、「ふたたび」を著すrepeat のre-とは無関係です。 語源は「もの」とか「ことがら」を意味するラテン語のres の変化形のひとつ。よく知られているrepublic「共和国」は「公けの(publica) 事柄(res)」からできました。Res の変化形realis から英語の「real (名目でけではない)真の、本物の」が生まれます。これは「nominal (名前だけの)」に対立する語です。 ここまでくると、reality, realism, realistic, realistなどの意味がわかるでしょう。さらにres が物であることを知れば、realty ガ法律用語で「不動産」であることも納得できると思います。アメリカではreal estate というのが普通のようです。下宿を見つけてくれる「不動産屋」さんは、real estate agent。スコラ哲学でやかましい「実在論realism」と「唯名論nominalism」との対立論議も、res の原義をしれば理解しやすいのではないでしょうか。 石井米雄
第64回 (2005年11月)
いまではすっかり日本語となった「ボーカル」は、「声楽、歌唱」の意味ですが、「ヴォーカル」と書いた方が原音vocal に近いことはいうまでもありません。「ヴォーカリストvocalist」は「歌手」。語源はラテン語のvocalisで、「音声の、発声の」ということ。さらに語源をさかのぼればvox 「声」に行き着きます。Vocal chord は「声帯」。Vocalize といえば、「(声帯を震わせて)無声音を有声音にする」ことになります。Vociferousという単語を見たことがありますか。「(とくに抗議のためなどに)大声で叫ぶ、騒々しい」を意味します。 ところで、このことばは、voci-と-ferous に分析できます。 voci- はvox の変化形で「声」、-ferousは動詞ferreの派生形で「生じる、含む」ですから、こういう意味になるわけです。そこでvociferous complaint といえば「やかましい不平の声」、vociferous dispute といえば「激しい論争」vociferous protest といえば「声高な抗議」ということになります。 石井米雄
第65回 (2005年12月)
「エキゾチック」という英語は日本語の一部となって、「異国的、異国情緒のあるさま」という訳で、『広辞苑』にものっています。「英和辞典」を見ると、exoticには「(1)外国種の、外国産の、外来の (2)異国物らしい趣のある、(3)珍しい、風変わりな (4)(物理では)普通でない素粒子 などの訳が見られ、いずれも「普通とは一風かわった」というニュアンスが感じられます。 この語の語源は、ギリシャ語の ですが、 には、時間的に、場所的に「自分たちとははなれている」という意味が含まれています。そこで植物であれば、「外来種」に対して「土地固有の、土着種」を意味するindigenous が、exotic の反対語としてあげられるわけです。アメリカなどの大学で、インドネシア語やタイ語などアジアの言語が、いまなおexotic languages と呼ばれるのは、欧米人にとって、こうした言語が、いまだに身近な西欧の諸言語とは別のカテゴリーに属する異質な言語と感じられているからでしょうか。 石井米雄
第66回 (2006年1月)
「型」、「模様」、「型紙」などを意味する「パターン」という言葉は、日本語の辞書にものっています。英語のpattern も同じですが、14世紀の詩人チョーサーは、この言葉を「お手本となるもの」の意味で使いました。語源は「父」を意味するラテン語のpaterです。お父さんは子供の模範となるべき人と考えられたからでしょうか。Pater から直接派生したのがpatron で、これは「保護者」です。そこから生まれたpatronage が、「後援、保護」を意味することはご存知でしょう。動詞はpatronize。意外なことに「愛国者」を意味するpatriot も同じくpater に関係しています。「<父なる祖国>を愛する人」と考えれば納得できるでしょうか。抽象名詞のpatroriotismは「愛国主義」。「父なる祖国」という原義は、むしろ「同国人compatriot 」の方にのこっています。もと「家長」を意味したpatriarch は、キリスト教に入って「総大司教」となりました。ちなみにarcheは支配者。Patrimony は「父系の世襲財産」を意味します。 石井米雄
第67回 (2006年2月)
「コンプライアンス」という言葉をよく新聞などで見かけるようになりました。「法令順守」などという訳語つきで。英語で書けばcompliance となります。Complianceは動詞のcomply から派生した抽象名詞ですが、そのもとをたどるとラテン語のcompleo に行き着きます。Compleo はさらにcom とpleo に分かれますが、後者は「満たす」、com はそれをつよめたものです。動詞pleo の形容詞形はplenus で、「満たされた」という意味です。ここまでくるとcomplete「完成させる」、complement 「(足りないとことを補って)全体にする」やその形容詞のcomplementary 「補足的な」が、いずれもplenus に由来していることがわかるでしょう。 「(構成員の全員が出席して成立する)本会議、総会」をplenary session とかplenary meeting とかいうのもplenusの意味がわかれば納得がゆくと思います。 石井米雄
第68回 (2006年3月)
Exprimereというラテン語があります。「圧力を加える、搾り出す」などという意味で、過去分詞形はexpressus。ここからいろいろな言葉が生まれました。 まずコーヒー専門店ならおなじみのespresso。これはイタリア語ですが、そのまま英語に入りました。「細かく挽いた豆に高圧の蒸気を通してつくる濃いコーヒー」ですが、原義が生きています。つぎに中学生でも知っている英単語のexpress。「(考えなどを)表現する」という意味ですが、うまい言い方がわからず、うんうんうなっている人などを見ると、もとの意味が納得されるでしょう。もうひとつ「急行」という意味の「エクスプレス」。これは「目標駅に向かって「真一文字にexpressly 」走る汽車」ということから出た表現と語源辞書に見えています。 アメリカの高速道路はexpress way。20世紀初頭に起こった芸術運動の「表現主義」がexpressionism と名づけられたのは、そこに芸術家の主観がつよく押し出されて表現されているからでしょうか。 石井米雄
第69回 (2006年4月)
「トレイン」が汽車であることは子供でも知っています。同時に「トレーニング」という英語もすっかり日本語として定着しています。「トレーニング・センター」とか「トレーニング・シューズ」などは、日本語に訳すとかえってわけがわからなくなりそうな言葉です。いうまでもなくもとの英語はtrain とtraining です。動詞のto train はラテン語のtrahere から変化した単語で、「引きずる」「引っ張る」というのが原義でした。そこから「訓練する」「しつける」という意味がでてきました。 Trainが「汽車」厳密に言えば「列車」を意味するようになったのは、どうやら19世紀なかば以降のことで、発明されたばかりの蒸気機関車が、長い長い客車の行列を引っ張って走る様子を見た人々が、これをtrain と読んだのが始まりとされています。この言葉はフランス語でもle train として使われるようになりましたが、時期は1830年代とされています。 石井米雄
第70回 (2006年5月)
有給休暇も残しがちな日本のサラリーマンにとっては夢の様な話ですが、「ヴァカンス」というフランス語だけは、旅行会社の広告媒体を通じて日本語になってしまったようです。これにあたる英語はvacation です。この言葉もまた、「ヴァケーション」として普通につかわれています。語源はいずれも「空っぽの、~から自由な、暇な」を意味するラテン語のvacuus 。その派生形のvacuum は「真空」の意味で、これを使ったおなじみのことばに「真空掃除機vacuum cleaner」、「魔法瓶vaccum bottle」、それにいまではあまり使われなくなった「真空管vacuum tube」があります。 動詞のvacate は「からにする、立ち退く」の意味です。 形容詞形のvacantは「空席の、人が住んでいない」ということ。 名詞のvacancyは「空席、欠員」ですから、家や部屋の前にvacancy とあれば、「空き屋」、「空き間」ということになります。 石井米雄