第1回 – 第10回 (2002年4月~2002年9月)

第1回 - 第10回

2002年4月~2002年9月

第1回 (2002年4月)
「記憶術」ということばを聞いたことがありますか。昔のギリシャ人は、人間の記憶のしくみを明らかにして、これを想起作用、つまりものごとを思い起こす作用をより速くかつ容易に行わせることに応用しようとしました。英語の単語を覚えるにはどうすればいいのでしょうか。「必修英単語三〇〇〇語」などという本を一頁からabacus, abandon, abase などとはじめたものの、途中で投げだした経験はだれにでもあるでしょう。これはたがいにまったく関係のない単語を、むりやりに頭に入れようとしたからで、それでは電話帳を最初から暗記しようとする無謀さとあまり変わりはありません。 ギリシャ人は、あらかじめ脳のなかに、いくつかの知悉(ちしつ)した場所を設定しておき、記憶しようとするものをそこに入れれば、その場所との関連を手がかりとして、たやすくこれを思い出すことができると考えたのです。この術を、たとえば英単語の記憶に応用するとどうなるでしょうか。 Manus という単語は「手」だと覚えてください。それに-al をつけたのがmanualだと知れば、それが「手引き」つまり「入門書」や「マニュアル」を意味する語だということが自然と頭にはいりませんか?もうひとつ。manuscript という単語は一見むずかしく見えます。しかしこれも manu- がついているのですから、なにか「手」に関係しているように見えます。そのとおりで、script が「書かれたもの」であることを知ると「手で」「書かれたもの」つまり「手写本」を意味することばなのです。ついでのことながら「世界史」でおなじみの「マニュファクチャー」は「[工場制]手工業」を意味することばですが、これもまた manu-つまり「手」と fact- つまり「作られる」から出来ていると覚えましょう。このように、あたらしい単語に出会ったら、それがどんな語源から出たことばなのかを、辞書にあたって考えるくせをつけると、その効用は絶大です。これは記憶術のひとつの秘訣です。ところでManus は何語ですかって?これはローマ帝国のことば、ラテン語です。英語にはこのようにラテン語から作られたことばがたくさんあるのです。 石井米雄
第2回 (2002年5月)
「前回は「手」の話でした。今回は「足」の話をしましょう。「手」はラテン語でmanusでしたね。「足」はpesですが、近代語に入るときはped-の形をとります。そこでこれに-alをつけたpedalはおなじみの自転車についている「足踏み器」つまり「ペタル」となります。足が百本もついているように見える「むかで」はcentipedeといいますが、前についたcent-が100を意味します。それは100年をcenturyということからも想像できるでしょう。ついでのことながら「100周年記念行事」はa centenary celebrationといいます。そうするとtripedalが「3本足」であることはすぐに見当がつくでしょう。横断歩道をpedestrian crossingといいますが、pedestrianは「足で歩く人」つまり「歩行者」のことです。東南アジアなどでよくみかける三輪の人力タクシーを、欧米人がpedicabと呼ぶのも同じ理由によります。これは「足でこぐタクシー」の意。若い女性が足の爪におしゃれをするのはpedicureですが、これは「ペディキュア」として日本語にはいりましたね。とすると手の爪のおしゃれが前回の知識を利用してmanicureとなることは説明の必要はないでしょう。語源などというとついついむずかしく考えがちですが、このように覚えたひとつの単語をもとに、つぎつぎと知識がひろがって行くのは楽しいものです。 石井米雄
第3回 (2002年5月)
「手」と「足」の話をしたついでに「頭」の話をしましょう。首都を英語でcapitalと言うことは知っていますね。首位、首席、首脳、元首などの用例から分かるように、「首」は「あたま」を意味します。英語も同じで、capitalのcapit-もラテン語で「あたま」の意味です。そうするとcapital letterは「頭文字」つまり「大文字」のこと。「大文字で書く」のはcapitalizeとなります。昔、「人頭税」という税金がありました。英語ではcapitation tax。ひとりひとりに対してかける、つまり「頭数」に対してかける税金のことです。経済学で capitalといえば「資本」のこと。「元手(もとで)」と考えれば納得がいくでしょう。Capitalistは「資本家」、capitalismは「資本主義」となります。 経済といえばper capita incomeということばを見たことがありませんか。これはラテン語をそのまま使った表現で、「人口一人当たりの所得」を意味します。「100あたりの比率」つまり「百分率」をpercentというでしょう? Per は「・・・あたり」、cent は「100」です。centuryが100年つまり1世紀であることはみんな知っていますね。 石井米雄
第4回 (2002年6月)
tongueが「舌」であることは知っていますね。Tongueのもうひとつの意味は「言語」です。生まれ育った国の言葉はmother tongue「母語」でしたね。ラテン語では「舌」はlinguaですが、これにも「言語」という意味があります。Lingua francaは英語になりましたが多民族の間でひろくつかわれる「共通語」を意味します。Lingua を形容詞にするとlinguistic。linguistic studiesは言語研究、学問の名前としてはlinguistics「言語学」となります。linguistは「言語学者」ですが、「いくつもの言語に通じた語学の得意な人」の意味もあります。He is a good linguistといってもかならずしも「言語学者」を意味しません。2ヶ国語を自由にあやつれる「バイリンギャル」は日本語になってしまいましたね。「バイリン」は正確には bilingual。2ヶ国語どころか3ヶ国語も自由だ、という人がいたらその人は trilingual です。tri- は「3」。「三角形」は triangleでしたね。チンチンという音をだす「トライアングル」も、もとをただせばただの「三角形」でした。 石井米雄
第5回 (2002年6月)
今回はちょっと趣向を変えて、ラテン語同様、英語にたくさん取り入れられたギリシャ語について考えてみましょう。「ギリシャ語、なんでそんな面倒な!」なんて言わないでください。意外や意外、われられが毎日のように見聞きしていることばのなかにも、かなりの数のギリシャ語が入っていますよ。いまや完全に日本語になってしまった「エコロジー」がそうです。「エコ」はギリシャ語のoikosで、原義は「家」。「環境」という意味もあります。「ロジー」も同じくギリシャ語のlogiaからでたことばで、「何々学」の「学」を意味します。エコロジーは、もともと「生態学」という学問を指しましたが、現在では一般の用語として「調和のとれた環境」の意味でつかわれるようになりました。ecopolicyといえば、環境の劣化をふせぐための政策、つまり「環境政策」となります。ついでに「エコノミー」はどうでしょうか。もともとは「家政を無駄なく取り仕切る」という意味でしたが、それがひろく「経済」を意味するようになりました。ちなみに「ノミ―」はnomiaからの転用で、「慣行」「法」「制度」などを意味することばです。近代語ではastronomy「天文学」などのように、「何々学」の「学」としてつかわれています。 石井米雄
第6回 (2002年7月)
ギリシャ語の話をつづけましょう。哲学がフィロソフィであることは知っていますね。これは「愛」を意味する philo- に「智」sophia をつけて出来たことばです。フィルハーモニーは日本語になっていますが、もともとは「音楽を愛するひとびとの集まり」の意味ですね。ハーモニーはもともと「調和」を意味するギリシャ語でした。Philology は logos 「ことば」を「愛する」 philo ことですから「文献学」、むかしは「言語学」を意味していました。すこし難しいかもしれませんが philanthropy という言葉を見たことがありますか?「赤十字」などのように博愛精神に訴える事業をする団体の意味ですが、助成財団の意味でつかわれることもあります。これは philo+anthropos から成り立っていますが、anthropos とは「人間」のことです。だから人間(の文化・社会)を研究する学問、つまり人類学は anthropology となります。anthropologyには「人間学」という意味もありますが、現在では「人類学」のほうがよく使われます。ついでのことながら anthropoid は「人間に似た」という意味ですから「類人猿」となります。 石井米雄
第7回 (2002年7月)
スーパーは日本語の日常用語になってしまいました。もともとはsupermarket であることは言うまでもないでしょう。Super は「・・・の上に」を意味するラテン語の前置詞です。だからスーパーマンは「超人」。建築用語の「上部構造」は superstructure となります。論文の指導教員をsupervisor といいますが、これはsupervise の派生語です。本来的な英語で言い換えればoversee。上から全体を見通して監督することです。ところでsuperviseの-vise ですが、これのラテン語の原形はvidere で「見る」という動詞です。一人称単数現在形のvideo は、ビデオという日本語になってしまいましたね。Revise は「re-もう一度見る」、つまり「見直す」「訂正する」「改訂する」という意味になります。名詞はrevision。Television は、「遠くをtele-」「見るもの」だから。もっともtele-はラテン語ではなくギリシャ語です。ついでながら「電話」のtelephone のphone もギリシャ語。「音」の意味。英語でphony となればシンフォニーのphonyを思い出すでしょう。ちなみにシンsyn を英語になおせばwithですから、シンフォニーの語源は想像がつきますね。 石井米雄
第8回 (2002年8月)
シンフォニーについては前回お話しました。シンはギリシャ語with を意味するsynでしたね。この前綴りをつけたことばが英語のなかにたくさんあります。シンパシーも日本語の一部になりました。sym+pathosが語源で、pathos はもともと「なにか身に降りかかってくるもの、事件、事故」などという悪い意味をもったことばでしたが、転じて「感情、パッション」となりました。ですからそれを「syn共にする」のですから、「同情」とか「共感」となります。ちなみにsynは、つぎにp,b,mなどのような両唇をとじる音がくるとそれにひかれてsym-となることに注意しましょう。これも日本語にはいったシンポジウムはどうでしょうか。ギリシャの哲学者プラトンの作品のひとつに「シンポジウム」という対話編がありますが、日本語では「饗宴編」と訳されています。なぜでしょうか?posis は「飲むこと」で、要するに「飲み会」!?で、親しい雰囲気のなかで議論をすること、それがシンポジウムのもともとの意味です。バイオももはや日本語ですが、これもギリシャ語で「生命」をあらわすbios から来ています。そこでこれにsyn をつけたsymbiosis はちかごろよく言われる「共生」のことです。 石井米雄
第9回 (2002年8月)
Super (上の)を勉強しましたから、その反対のsub (下の)を覚えてください。この言葉は日本語になりましたね。「控えの選手」つまり「補欠選手」のことを「サブ」というでしょう。「サブタイトル」は「副題」ということもこれから想像がつきますね。「海」はmare ですから「海中をもぐって航行する船」つまり「潜水艦」がsubmarine となることはすぐに想像できませんか?divide は「分ける」ですから、それをさらに細かく分けるのはsubdivide となります。「下請け」はsubcontract。subcommittee といえば「分科会、小委員会」のことです。subterraneanなどというといかにもむずかしそうですが、こういうときは慌てずに考えましょう。まずsub-terra-neanと分けると最期の-nean -neous などと同じ形容詞をつくる語尾ですから、のこりはterra となります。これは「大地」を意味しますから全体では「地下にある」を意味する形容詞となります。ついでながら英語に入ったラテン語のterra incognita を覚えましょう。これは「未知の国」という意味です。incognita については、次回にお話しましょう。 石井米雄
第10回 (2002年9月)
前回の宿題がありました。terra incognita のincognita でしたね。これはラテン語ですが英語にもたくさん入っています。原義は「知られていない」という意味で、cognita 「知られた」+否定のin から出来ています。もともとは「知る」を意味するラテン語の動詞cognoscoで、その過去分詞形がcognitum,cognita となるのです。ちょっと難しいかな? だけどこれを覚えるといろいろ応用がききますよ。「見てそれと知る」のはrecognize、その名詞形はrecognition (認めること=認識)となります。cognizable は「認め得る」。cognizant はaware とおなじで「知って」という意味。He is cognizant of the fact.などと使います。ついでのことながらincognito という言葉も覚えましょう。to travel incognito といえば、王様などが「おしのびで」旅をすることです。おとぎ話などによく出てきますが、現在でも王族が身分を隠して町にでるときなどに使います。「ローマの休日」でオードリ・ヘップバーンが演じたお姫様を覚えているでしょう。言うまでもなく原義は「人に知られないで」ということですよね。 石井米雄