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関屋康氏は、神田外語大学の開学以来、外国語学部英米語学科で教え続けてきました。内容中心言語教育や自律学習などの新たな教育コンセプトを取り入れ、先進的な英語教育カリキュラムを構築するとともに、中学校・高校の英語教員が求める現場に根差した教授法を学べるプログラムを大学院修士課程に設けた神田外語大学。約40年にわたり、その挑戦の歴史を共に歩んできた関屋氏だからこそ語れる史実をお伺いしました。(構成・文:山口剛)
昭和29(1954)年に山口県宇部市で生まれましたが、8歳の時に引っ越し、福岡県の福岡市と筑紫郡(現在の筑紫野市)で育ちました。中学生の時に英語の塾に通っていたのですが、米軍の板付基地(※)で通訳をしていた方が先生で、発音も全然違うし、すごく熱心に教えてくれたので、塾に行くのが楽しくてたまらなかった記憶があります。
父と祖父は歯科医院を開業していたので、私に継いでほしかったようですが、自分は歯科医には向いていないことは分かっていたので、理解してもらって好きだった英語を学ぶために上智大学外国語学部英語学科へ入学しました。
入学後はESS(英語劇)での活動に没頭しました。上智大学はカトリックの大学で、イエズス会の神父様が住んでいて、毎朝30分ほど英語の発音練習やパタンプラクティスと呼ばれる文型練習をしてくれました。私も毎日参加していたのですが、とても熱心な先生で心を動かされたことも、後に教員になるきっかけだったのかもしれません。
大学3年も終わろうとしていた時、まだ将来の方向性が決まっていませんでした。すると、ESS を指導してくれていた先生が「アメリカのウィスコンシン大学グリーンベイ校で、上智の学生に奨学金を出すプログラムがある。興味があれば推薦するから行ってみないか」と誘われました。
卒業前に英語圏への留学を一度は経験してみたいと思っていましたので、1年間のつもりで、休学して留学したのですが、そこで言語学の素晴らしい先生に出会い、上智大学で取得した単位を使えばウィスコンシン大学でも言語学の学士号が取れると分かり、結局2年間滞在しました。
アメリカで言語学を専攻したので、その知識を生かせる仕事として英語教員があると思いました。上智大学の4年次に復学し、大学院にも進学しながら教職課程を履修して、教員免許を取得しました。
※板付(いたづけ)基地:米軍から返還され、現在の福岡空港となった。