佐野隆治からの“未来へのメッセージ”


“平和とは何かを学ぶ。攻撃して相手を封じ込めるのではなく、和をもたらすにはどうしたらよいか。日本人には、和が尊いという価値観がある。その価値観を前に出して、世界の人たちと平和な社会をつくる。そのためには何をすればよいか。どうすれば、平和について真剣に学べるかを模索する。それこそが神田外語の進むべき方向ですよ。” 佐野隆治



学校法人佐野学園第三代理事長の佐野隆治は生前、神田外語大学やブリティッシュヒルズをはじめ、神田外語グループの核となる事業を興しました。その発想と行動力の根底には神田外語グループの建学の理念「言葉は世界をつなぐ平和の礎」があります。生前、佐野隆治が“未来へのメッセージ”として遺した言葉をご紹介します。



神田外語の理想を実現するには大学が必要だと僕も思っていた。
どんな教育をすれば、どんな大学をつくれば、
世界で通用する若者を育てられるのか。
親父とおふくろと、ずいぶんと真剣に話をしました。


親父(佐野公一神田外語学院初代学院長)とおふくろ(佐野きく枝神田外語学院第二代学院長)が神田に小さな英語学校をつくったのは昭和32(1957)年のことです。戦争を経験したふたりは日本のことを真剣に想っていました。日本の若者が世界の人々と渡り合って、平和な世の中を築くには、英語ができないといけないと考えたのでしょう。


僕は学生の頃に家を飛び出し、色んな職業を経験し、自分で会社を興したり、先物取引にも手を広げていたんですが、おふくろに呼び戻されました。東京オリンピックの前の年、昭和38(1963)年のことです。神田外語学院で事務長として働き始めたのですが、どうすれば学生が楽しんで英語を学べるか、英語を話せるようになるかばかりを考えました。とにかく、考えて、新しいことを試してきた。僕は英語が得意でなかった。それがよかったんでしょう。


学院にたくさんの学生が入ってきて、学校がどんどん大きくなると、親父は「大学を作れ、大学を作れ」って呪文のように繰り返すようになりました。真の意味で国際社会で渡り合うには、外国語はもちろんのこと、日本人としての教養と人格を兼ね備えた人間を育てる必要がある。神田外語の理想を実現するには大学が必要だと僕も思っていた。どんな教育をすれば、どんな大学をつくれば、世界で通用する若者を育てられるのか。親父とおふくろと、ずいぶんと真剣に話をしました。


あれは昭和53(1978)年の頃のことです。千葉県が幕張の埋め立て地を大学の用地として提供することになって、親父とおふくろと一緒に現地を見に行った。葦が生い茂る湿地帯です。その時です。親父がそこで倒れた。すぐに入院しました。僕は病院に通って、親父と話した。親父は、「千葉には海の港もあるし、成田空港という空の港もある。世界の文化文明は、水辺・港からやって来たものだ。そこに外語大学があるなんて、ぴったりじゃないか」という言葉を遺した。それが親父の遺言です。


遺言ですからね。あとは、とにかく大学をかたちにしなくちゃいけない。学院の職員たちと、知恵を絞って、色んな方々にお願いして、文部省が納得する条件を整えた。職員の諸君には、ずいぶんと無理難題を言った。でも、大学を作るには必要なことだった。みんなよくがんばってくれたと思います。


そして、先生方や取引先、たくさんの方々が神田外語の思いに共感してくれた。神田外語が目指すものをかたちにしようと、自分の事としてがんばってくれた。本当に運がよかった。とにかく運がよかったんです。



当たり前になっていることを当たり前だと思わずに、
時には続けてきたことを壊す勇気も必要ですよ。
本気で挑むこと、
それが神田外語を未来につないでいくための唯一の方法だと思いますよ。


神田外語が生まれて60年以上が経ち、日本の英語教育もずいぶん変わった。小学校で英語が必修になって、読み・書きだけでなく、コミュニケーションにも重きが置かれるようになった。この教育がうまくいけば、高校を卒業するまでに、多くの若者が英語を話せるようになる。それはよいことです。


じゃあ、外語大は何を教えるのか。外国語の専門学校は何を教えるのか。今までと同じことを続けていたんじゃぁ、存在する意味がない。そういう時代になったんです。


現状に満足せずに、次の10年、20年を見据えて必要とされる教育を作る。教員と職員が膝を突き合わせて、何が必要かを議論する。学生のことを、教育のことを真剣に考えるから、意見が食い違うこともある。


それでいいじゃないか。当たり前になっていることを当たり前だと思わずに、時には続けてきたことを壊す勇気も必要ですよ。本気で挑むこと、それが神田外語を未来につないでいくための唯一の方法だと思いますよ。


戦争が終わってからもう72年。文化の違う人間同士が一緒に仕事をする時代になりました。今こそ日本人の和の精神を打ち出していく時でしょう。世界に平和な社会を作っていくうえで、日本人の和の精神が役立つ時が来たと思うんです。


外国語を学ぶ。外国の文化を学ぶ。それだけじゃ足らない。日本人としての精神、価値観をしっかりと養う。


平和とは何かを学ぶ。攻撃して相手を封じ込めるのではなく、和をもたらすにはどうしたらよいか。日本人には、和が尊いという価値観がある。その価値観を前に出して、世界の人たちと平和な社会をつくる。そのためには何をすればよいか。どうすれば、平和について真剣に学べるかを模索する。それこそが神田外語の進むべき方向ですよ。




何が必要かを本気で考える。これだと思ったことを実行する。
でも、いつも早すぎるんですよね、時代よりも。だから、周りは理解できない。
それでも諦めずに本気で挑んでいけば、真意を理解してくれるお人が現れるんです。
そして、かたちにすれば、時代がついてくる。


親父とおふくろは、日本の若者に世界で通用する語学力を身につけさせるために学校を興した。僕は、その想いをかたちにするために本気で仕事をしてきたし、自分の代で作れるものはすべて作った。これを学生のためにどう使っていくか。僕のやれることは終わったけど、神田外語は、まだ道半ばです。


次は、みなさんの番ですよ。みなさんの仕事は、学生のためであり、社会のためですよ。それは、日本という国のためであり、世界のためでしょう。世界の平和のためです。その原理原則に従って、とにかく、本気で、必死になってやっていれば、運はめぐってくるはずです。


僕はずいぶんと親父とぶつかった。そりゃ当然ですよ。親父は親父なりに、僕は僕なりに本気ですから。でも、何のために仕事をしているかがぶれてない。だから、ぶつかっても最後には同じ方向を見られる。


何が必要かを本気で考える。これだと思ったことを実行する。でも、いつも早すぎるんですよね、時代よりも。だから、周りは理解できない。それでも諦めずに本気で挑んでいけば、真意を理解してくれるお人が現れるんです。そして、かたちにすれば、時代がついてくる。


学生のために新しいことを始めようと思って、理解が得られなかったり、意見がぶつかるなんて当たり前でしょう。だって、本気ですからね。だったら、役職や立場を超えてぶつかればいい。必ずそこから新しいことが生み出せる。それが神田外語ですよ。その文化だけは失ってほしくない。


僕らは、学生のため、卒業生のためにも仕事をしなくちゃならない。それを本気でやれれば、神田外語はもっとよい学校になるはずです。どうか、これからも神田外語のことをよろしくお願いします。


平成28(2016)年12月
佐野 隆治



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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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