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上智大学の大学院生の時のことでした。研究科長のフェリス・ロボ先生から「ある塾で講師を探しているのだが、大学院生を希望している。やってみないか」と言われ、引き受けました。その塾を主宰する女性のご主人が、慶應義塾大学で教えていらっしゃった小池生夫先生でした。
小池先生は後にJACET(一般社団法人大学英語教育学会)の会長を務められる英語教育界では有名な方です。塾での授業を終えると小池先生と話していたのですが、先生はいつも私の卒業後の進路を気に掛けてくださっていました。
教職課程で学び、教育実習なども経験すると、もっと英語教育について理論と実践を専門的に深く学びたいという想いが強くなりました。
アメリカには英語を母語としない人々への英語教育の専門課程であるTESOL(Teaching English to Speakers of Other Languages:英語教授法)があります。幸運にもフルブライト奨学金を受けられたので、TESOL課程があるニューヨークのコロンビア大学ティーチャーズカレッジの修士課程に留学しました。 昭和58(1983)年には修士号を取得しましたが、もっと学びたいと思い博士課程に進学しました。
昭和60(1985)年の夏、ワシントンD.C.にあるジョージタウン大学で英語教育に関する国際学会が開かれ、小池先生と再会しました。その時、小池先生から「関東地方の私立大学では初めての外国語学を専門とする単科大学の開学が計画されている」とお聞きしました。後の神田外語大学です。
小池先生の恩師に日本の英語教育界の第一人者である小川芳男先生がおられ、後に小川先生は神田外語大学の初代学長を務められました。その関係で、小池先生は開学時に着任する英米語学科の専任教員の候補者を探しておられ、私にも声を掛けてくださったのです。当時私は、博士論文を書いていましたが、日本で教員をしながら執筆することに決め、神田外語大学の専任講師をお引き受けしました。思えば、上智大学の大学院時代に、あの塾の講師を引き受けたことが小池先生、そして神田外語大学へのご縁となったのです。不思議なものです。
開学時から英米語学科で教えられた原岡笙子先生(初代学科主任、後に名誉教授)、ロバート・デシルバ先生(現・グローバル・リベラルアーツ学部教授)、久泉鶴雄先生(後の学科主任)は、小池先生のお声掛けで開学時の教員に着任されたと記憶しています。