第54回 “The strategy is quite clear. The big game is finally here!” (戦略は明快、いよいよ大勝負の始まりです!)

欧州プロジェクトがスタート

 アルカテルとの事業統合が消失し、海外事業の立ち上げは自力で行うことになりました。そもそも2.5Gの通信技術がないのに自力でやれるのかと思いましたが、ある欧州の会社(大手企業ではない)と技術提携の目途がつき、対応できることになりました。事業統合がなくなって2か月くらいで決まったと記憶しています。ただ、技術提供を受けても実際の商品を開発するのに時間がかかり、2.5Gの携帯電話の開発完了までは1年以上先になる見込みでした。その間、事業本部内では欧州、アメリカ、中国、それぞれの市場で携帯電話事業再開へ向け準備することになりました。私は欧州プロジェクトのリーダーとしてアサインされました。

 

パートナー探しにハンガリーまで

 欧州市場は国が多く、言語も違うため、商品を最終化するためには、携帯電話端末のハードウエアだけでなく、カスタマイゼーション(ソフトの初期設定、各国語対応マニュアル、アクセサリー、梱包等)を行う必要がありました。そのため、カスタマイゼーションを行うパートナーを選定するべく、欧州統括会社の協力を得て、市場調査、パートナーサーベイを実施しました。U.K.、フランス、オランダ、イタリアに加え、ハンガリーまで足を伸ばしました。コスト的にはハンガリーが魅力的でしたが、地の利が悪く、最終的にオランダにある物流会社をパートナーとすることで交渉を進めました。

 販売は、販売子会社をとおして、各国のオペレーター(ドコモのような携帯電話サービス事業者)への売り込みを中心に展開する計画を立てました。プロジェクトチームでは、販売、プロモーション、物流、保守等の計画を詰め、開発部隊はソフトウエアのエンジニアを増強し、2.5G の携帯端末の開発に注力しました。   

さあ、いざ海外市場へ「今は漕ぎ出でな!」

 携帯電話事業での海外事業再立ち上げはこうして2.5Gの技術提携をベースに自力で開発、販売を進めていくことで動き出しました。アナログ(1G)時代は世界的に市場をリードしましたが、GSM(2G)へ通信方式が変わった途端、我々は開発できず、海外市場から撤退。そして、今、海外市場は3Gの通信方式に移ると言われながら、その前に中間の2.5の通信方式に移行。2.5G技術のない我々は、3Gがでるまでのつなぎとして技術提携により2.5G に打って出ようとしたのです。 

 2.5Gとは別に3Gビジネスは、新規参入を図るハチソンというオペレーター(U.K.,香港市場)が他オペレーターにさきがけて3Gだけで打って出る戦略を取るというので、我々はハチソンに賭けました。この時点で我々は、「First to Market(ハチソン3G)」「Time to Market(2.5G)」という戦略に銘打ったのです。3Gはハチソン、2.5G は、中国、欧州、北米市場です。ただ、欧州、北米市場はオペレーターへの売り込みでしたが、中国市場はオペレーターが直接端末を売ることができないので、自力で販売網を構築する必要がありました。そのため、事業本部は2.5Gでは最大のリソースを中国に投入しました。さらに日本で爆発的に売れていたドコモの「iモード」を2.5Gの海外仕様に変更して販売していくことが加わりました。ドコモと共に日本の成功モデルを海外にも展開しようという試みです。

 戦線が拡大する中、私は欧州向け2.5Gと「iモード」を担当することになりました。販売はまだ1年先ですが、忙しい毎日が始まりました。戦略は明快だったと今でも思います。すべては2,5Gと3Gの端末開発にかかっていました。額田王の「熟達津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」ではありませんが、いよいよ事業本部あげての大勝負が始まりました!

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