異文化理解の先駆者たち

第4回 岩隈美穂京都大学准教授『異文化コミュニケーションは自分と向き合う学問』

平成20(2008)年、京都大学大学院医学研究科に「医学と社会のつながり」をテーマに掲げる「医学コミュニケーション学」が開講しました。この講座で准教授を務められている岩隈美穂先生は神田外語大学の卒業生です。開学間もない大学に入学し、異文化コミュニケーションという学問や異文研の先生方と出会った岩隈先生は、その後、アメリカの大学へ留学。異文化コミュニケーションと障害学を探究していきます。自分と向き合うことで研究者としての道を拓いてこられた岩隈先生を取材しました。

私は千葉市美浜区の真砂で育ちました。神田外語大学のある若葉とは花見川を挟んだ隣町です。高校は幕張総合高校の前身である幕張三校のひとつの幕張東高校に通っていたのですが、病気を患って車椅子での生活を余儀なくされました。袖ケ浦養護(現・特別支援)学校の高等部に転校し、寮で生活を始めました。

高校生のときから英語が好きで、大学でも学ぼうと思っていたのですが、希望する大学は受験すらできませんでした。当時は車椅子の受験生には、ほとんどの大学が対応していなかったのです。そこで、実家の近くにある神田外語大学の英米語学科に願書を出しました。

昭和63(1988)年の当時、開学したばかりの神田外語大学はまだ、1号館と2号館しかありませんでした。どちらも3階建ての低層建築で、法律的にはエレベーターを設置しなくてもよかったのですが、きちんと備えてありました。ここしかない、と思いましたね。願書も受理され、一般の受験生と一緒に入学試験を受けられました。

でも、第1次募集の入学試験では落ちてしまったんです。そこで第2次募集の試験にも出願しました。英米語学科の募集定員は5名ほどだったと記憶しています。神田外語大学しか選択肢がなかったので、確実に合格できそうな他の学科に変更しようか迷いましたが、一番入りたかった英米語学科を受験しました。

試験が終わると、袖ケ浦の寮に戻りました。狭き門だったので、浪人することを覚悟していて、合格発表も見に行きませんでした。すると、弟が寮に電話をかけてきて、「番号あったよ」と教えてくれました。実家が近かったので、私の代わりに見に行ってくれたのです。他の大学は一切受けていなかったので、正直ほっとしましたね。(1/9)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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