神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第4回 アントン・グディングス神田外語学院第4代学院長『課題と向き合い、言葉を育む』

「これをやる」と決めたとき、
人は生きることに張り合いができます。

私は学院長をしていた頃に卒業生たちにこう言いました。

「人生において友達を大切にしなさい。そして必ず目的を持ちなさい」

そのふたつがあればたいていは間違いないと私は思います。自分自身の人生を振り返ってもそう思いますね。セント・ジョセフ時代の友人で、いまだに付き合っている友人がいます。75年になりますね。2年に一度は彼のいるサンフランシスコに会いに行くし、スカイプで話しもします。やはり、大切に思える人がいなければいけないですよ。

もうひとつは目的を持つこと。男性には仕事がありますから、生涯の仕事を決めたのであれば、とことんその道を行かなきゃいけないですよ。決められない人が多いでしょ。あるいはこんな仕事、本当はしたくないけど、生活のためにやらなければいけないとか。そういう時期もあるかもしれない。でも、目的を持っていなければ、達成感もないし、社会にも貢献できないんですよ。

私が神田外語で過ごした40年間はわりと充実した日々だったと思いますね。ここでの仕事に本腰を入れるまでの私は自由主義者で、いろんなことをやってきました。でも、「これをやる」と決めたとき、そういう目的ができたとき、生きることの張り合いができました。

私が自分の生きる目的を決められたのは、佐野きく枝先生がいたからです。あの方は本当の教育者であり、模範的な先生です。教育に対してのビジョンを持ち、もっとよくしたいと絶えず考えていた。そのためには何をしなきゃいけないのか、何ができるのかと。そういう風に考える人って、あまりいないですよ。

そして何かやるときは、「グディングス先生、頼みますよ」と投げられるんです。そう言われると、やらなきゃいけない。方法を探さなければいけない。人との接し方が本当に上手でした。上の人間として、下の人間を育て、上に行けるようにしてあげるのが、きく枝先生は本当に優れていたと思います。(9/9)

アントン・グディングス(Anton Goodings)
昭和3(1928)年生まれ。横浜にあるインターナショナル・スクール、セント・ジョセフで学んだ後、早稲田大学に入学。空襲により学校が閉鎖になったまま終戦を迎える。『ニューヨーク・デイリーニュース』紙の日本特派員助手を2年間務めた後、貿易会社「KONWAL」を共同経営。同社の解散後、神田外語学院の臨時講師となる。昭和47(1972)年より講師となり、外国からの教員採用において中心的な役割を果たす。昭和54(1979)年に神田外語学院の職員となる。昭和57(1982)年より副学院長に就任し、タスクベース・シラバスの構築に力を注ぐ。平成6(1994)年に創設者の家族以外で初めて学院長(第4代)に就任する。平成15(2003)年に退職。現在は、千葉県鴨川市で、家族と愛犬とともに暮らし、趣味の釣りを楽しむ日々を過ごしている。平成27(2015)年7月永眠。享年86歳。

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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