神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第4回 アントン・グディングス神田外語学院第4代学院長『課題と向き合い、言葉を育む』

日本人の先生方にはずいぶんと嫌われました。
でも、学生のためには大胆な改革が必要でした。

平成2(1990)年、神田外語学院でタスクベース・シラバスの研究が始まりました。学院の先生方にも参加していただき、プロジェクトチームを作りました。カンドリン教授は、マッコリー大学で教えなければならない期間以外は、日本に来ていたし、ヌーナン教授も研究休暇をとって日本に滞在していました。確か、8カ月くらい集中して研究を行いました。

今思えば、非常に素晴らしい研究の場でした。新しい教材の案がまとまると、学院の教員に渡して、実際の授業で試してもらいました。教員はクラスでの反応を記録するとともに、自分の意見を書いて報告してくれる。アイデアをすぐに実際のクラスで試せて、日本人の学生の反応をテキストの内容に反映できたのは本当に恵まれた環境でした。

週に1度はジョンソン先生が幕張の大学から神田の学院に来て、教材の内容についてディスカッションする。ジョンソン先生は大学で実際に学生の指導をしているから、その立場から助言してくれました。この期間は私にとっても非常に勉強になりました。研究というものが、どういうものかを知りました。それに、3人の先生方は学者であり、高い教養を持っている。そういった方と、どうやって話して、何をどう伝えればよいか、学ぶことはたくさんありました。

教材が完成し始めると、学院の教員を対象としたタスクベース・シラバスについての研修会を行いました。もちろん、講師はカンドリン、ヌーナンの両教授です。ここで教員の反応が分かれました。外国人の教員は、新しい教授法を学ぶことに意欲的です。でも、日本人の教員は違いました。自分はすでに教員の資格を持ち、キャリアもある。それなのに、なぜ新しい方法を学ばなければならないのか、と彼らは反論するのです。研修会では発表もあるので、それも嫌がりました。「ほかの先生と比較されてしまう。頼むから恥をかかせないでくれ」と言ってくるのです。でも、それじゃあ、教員は務まらないでしょう。

私は日本人の先生方にずいぶんと嫌われたと思いますよ。でも、どうしても日本人の先生方には変わってもらわなくてはならなかった。教員自身が学び続けないでサボタージュすると、不幸な思いをするのは学生です。残念ですが、新しい方針に沿えない先生には辞めていただきました。ですから、タスクベース・シラバスの導入というのは、教授法の改革であるとともに、組織の改革でもあったのです。私が初めて神田外語に来たときは外国人の教員はひと握りでした。でも、その後の40年間でその比率は逆転していきました。人間関係で苦労したし、ずいぶんと嫌われたけれど、学生たちのことを本当に思えば、大胆な改革は必要だったのです。平成6(1994)年、約4年をかけたタスクベース・シラバスは完成し、学院の教育に導入されました。この年、私は神田外語学院の第4代学院長に就任しました。(8/9)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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