神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第3回 フランシス・C・ジョンソン神田外語大学名誉教授『ELIのカリキュラムは進化する』

昭和61(1986)年、翌年に開学を控えた神田外語大学では、ハワイ大学から英語教育の専門家、フランシス・C・ジョンソン教授を招聘しました。オーストラリア出身で、パプアニューギニアやハワイ、香港で教鞭を執ってきたジョンソン教授は同僚のピンチヒッターとして、2年間の契約で来日しました。しかし、ジョンソン教授は、その後20年間にわたりELIのディレクターとして画期的な英語学習のプログラムを構築し、神田外語大学の大きな特徴であるSALCを創り上げることになります。ジョンソン教授を日本に引き留め、そしてSALCのプロジェクトに駆り立てたものとは一体何だったのでしょうか?

船乗りだった祖父が、スウェーデンからオーストラリアに来たのは明治23(1890)年のことです。ジョンソン(Johnson)は、スウェーデン語でヤンソン(Jannson)です。祖父はシドニーで船を降り、オーストラリアで生きることを決めました。

私は昭和9(1934)年に生まれました。父は公務員です。シドニー市役所に勤めていました。母は専業主婦です。平均的な労働者階級の家庭に育ちました。10歳以上、歳の離れた兄と姉がいて、ずいぶん甘やかされました。彼らは、私をお人形のように可愛がってくれました。

若い頃はスポーツに熱中していました。水泳、サーフィン、陸上競技、そしてサッカー。水泳ではオーストラリア代表に選ばれました。読書も大好きで、勉強もできたので、大学に進学することができました。家族や親戚でも、大学に進学したのは私が初めてでした。政府から奨学金をいただいて、シドニー大学へ進学しました。

大学では教育学を学びました。教師になりたかったのです。なぜって?おそらく、しゃべるのが大好きだったからでしょう。大学では最初の3年間で教育学の学士号を取得し、さらに次の2年間で経済学の学士号も取得しました。優れた教師になれるかどうか自信がなかったので、経済も学んでおいたのです。大学を卒業した後、兵役を1年間務めました。空軍でパイロットのライセンスを取得しました。

兵役を終えると、パプアニューギニアで教師になりました。小学校の教員です。オーストラリアでは教えたいとは思えませんでした。だから、外国で英語を教える道を選んだのです。22歳のときでした。パプアニューギニアでは教師の育成にも携わりました。

パプアニューギニアには約750種類の言語があります。私が最初に教えたクラスには35人の生徒がいたのですが、生徒たちの話す言語を数えていくとなんと30種類にも及びました。言語の違いは文化の違い、そして世界観の違いを意味します。つまり、生徒1人ひとりの世界観が違うのです。そして英語もまた、彼らの文化とはまったく違う価値の上に成り立っています。異なる価値を持った生徒たちに英語的な思考を浸透させていく。それは非常に困難な仕事でした。何か方法を見いだす必要がありました。

そこで私は英語学習の教科書を執筆しました。この教科書はパプアニューギニア全土、そして太平洋の島々で使われました。教師の育成にも携わり、指導した教師たちは私の書いた教科書を使って、英語教育を行いました。私はパプアニューギニアで、クラスでの教え方を習得しました。しかし、学術的な背景を学んでいないことに気づいたのです。言語を教える自分の能力をもっと高めたい、そう思うようになっていきました。

私は英語を教えるプロフェッショナルになろうと決心しました。まず、ロンドン大学の大学院で、「第二外国語としての英語指導課程」を修めました。さらに、アメリカのコロンビア大学のティーチャーズ・カレッジで学びました。当時、言語教育の博士課程があったのはコロンビア大学だけでした。英語の博士課程というと言語学を学ぶのが一般的だった時代です。でも、私は言語教育そのものについて学びたかった。昭和40(1965)年に博士号を取得し、翌年の昭和41(1966)年にはふたたびパプアニューギニアに戻りました。その年、パプアニューギニア大学が設立され、私は英語学部の主任教授になったのです。

パプアニューギニアで教えることの醍醐味、それは国家にとって重要な人々を教えられることでした。当時の教え子の1人は、パプアニューギニアの首相になりました。その他にも、大臣や大使など、重責を担う職業に就いた人々がたくさんいます。残念ながら、オーストラリアでは、そんな重要な人たちに教える機会はなかったでしょう。

振り返ってみれば、パプアニューギニアでの経験は後の私のキャリアを決定づけました。この国の教科書を書いたことで、私はその後も教科書を執筆していきました。来日してからは、神田外語大学でも教科書を書きました。また、クラスに共通の言語がないというパプアニューギニアでの経験も、後に神田外語で実践することとなる「自立学習者」や「個人仕様に合わせた教授法」を構築する大きな出発点だったと思います。

パプアニューギニア大学の後は、ハワイ大学で教え、さらには香港の中文大学で教えました。(1/6)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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