神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第25回 糟谷幸徳神田外語学院第7代学院長 社会の「今」に必要とされる専門学校を追究する

社会人としてのキャリアを始める意義を説き
リーマンショック後の就職率を維持

平成20(2008)年5月に佐野学園に転籍した私は理事長室統括部長という役職でVISTA設立の仕事に当たっていましたが、翌年の平成21(2009)年5月に神田外語学院のキャリア教育センター長を兼任することになりました。

平成20(2008)年の秋、リーマンショックが起き、企業の採用状況は急激に悪化していきました。内定取り消しが社会問題にもなりました。専門学校にとって学生の就職率は生命線です。神田外語学院としても学生の就職支援に本腰を入れないといけなかったのです。しかし、当時のキャリア教育センター長のポストは、前任者が異動した後、空席になっており、事務局長が兼任していた状況でした。そこで、佐野隆治理事長からの指示で、銀行員としての社会人経験のある私がセンター長を担うことになりました。

就職活動の相談に来る学生たちには、「選り好みしないで、とにかく職を得て、そこから考えなさい」と伝えました。どんな会社でも就職できれば、社会人としてのキャリアになる。100%満足できない就職先でも働きながら次を考えればいい。就職浪人すると、なんのキャリアにもならない。そのことを強く伝えました。

具体的には「学校を単位取得ギリギリまで休んでもいいから、就職面接を受けに行きなさい」と指導しました。学生たちは面接を経験するごとに大きく成長します。一度失敗しても、次からは失敗しない。だから数多く受けた方がいいとの想いでした。

語学の習得では、その環境にいかに長く自らを置くことができるかが肝ですから、「学校は休んではいけない」という暗黙のルールがある。だから私は、「面接に行くときは、私が公欠届をすべて書く!」と宣言して、学生の就職活動を促しました。結果として、90%近い学生が就職し、社会へ出ていったのです。

平成22(2010)年4月、神田外語学院の副学院長になりました。引き続き、キャリア教育センター長を兼任しました。学生と深い交流ができますから、この役職は続けたいと主張しました。

気付くと神田外語学院の仕事が中心になりました。佐野隆治理事長はきっと、私が神田外語大学よりも学院に合うと判断されたのでしょう。文部科学省が管轄する大学とは違い、専門学校は制度的にも柔軟性が高いし、何といっても就職を目的に学ぶ学校だから、私の経験を生かせるとお考えになったのだと思います。

この年、佐野隆治さんは理事長を退任し、会長に就任。新たな理事長には長男である佐野元泰さんが就任しました。

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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