神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第14回 佐野隆治 学校法人佐野学園会長『大学生の本気を引き出す環境づくり』

インフラ整備が終わってからバブルが弾けた
運ですよ。努力というよりは運ですよ

ぜひとも幕張に大学を建てないといけなかった。親父の遺言ですからね。すぐに千葉県に申請をしたんですが、なかなか決まらなかった。実は、早稲田大学がその土地にキャンパスを建てるという話があった。だから、早稲田がどうするかを決めるまで待たなくちゃならなかった。県にしてみれば、早稲田に来てほしいですよね。専門学校が大学を創りますなんて話は相手にもしてもらえない。およびじゃなかったわけだ。

結局、早稲田大学は埼玉県の所沢にキャンパスを作ることになった。早稲田の校歌は、「都の西北、早稲田の杜に」とあるし、幕張は都の東ですからね。校歌に反するから幕張をやめたんじゃないかって(笑)。早稲田の計画がなくなり、千葉県もようやくこっちを向いてくれるようになった。土地を買ったのは、昭和58(1983)年でした。

その後、幕張では都市整備が進んで、京葉線が通って、ビル群も建っていきました。でも、その後にバブルが弾けた。タイミングが少し遅れたら、計画全体が変更されていたでしょうね。ギリギリでインフラの整備が間に合った。それにうまく乗れたから、よかったんですよ。運ですよ。努力というより運ですね。

幕張に土地を決めると、みなさんに「なんで、東京の神田外語が幕張に大学を創るんですか」と聞かれた。最初の頃は、将来きれいになるからって説明していましたけど、それじゃ説得力がない。親父が亡くなる前に、「千葉には海の港もあるし、成田空港という空の港もある。世界の文化文明は、水辺・港からやって来たものだ。そこに外語大学があるなんて、ぴったりじゃないか」って言っていたのを思い出したんです。そこで、「千葉港、成田空港、文化は海の岸辺から始まる」っていうフレーズにまとめて、新設する大学の方向性として謳うようになったんです。

でも、外国語大学というだけじゃ、インパクトがないですよね。そんなときに出会ったのが古田暁先生です。当時は講談社で英語の百科事典を編集されながら、「異文化コミュニケーション」の研究もされていた。古田先生の専門は神学で、バチカンで研究もされていたそうです。バチカンには世界中から神父たちが集まってくる。共通語はラテン語だそうです。文化的背景の違う者同士がラテン語で相手を理解しながら、ともに学ぶバチカンは、まさに異文化コミュニケーション研究の発祥の地と言えるでしょうね。

古田先生に出会った当時、異文化コミュニケーションという言葉そのものがほとんど使われていませんでした。古田先生は「私たちは外国語を通じて異文化を理解する。語学の勉強って本来、そのためにあるんじゃないか」とおっしゃった。そして、これからはコミュニケーションの時代だと。知識もとても深い方だったので、あぁ、この人だと思った。コミュニケーションの大学を作る。本気で大学が作れる。そう思えたのは古田先生に出会えたからです。大学の土地を購入したのも、古田先生と出会ってからでした。(2/8)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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