神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第12回 山本和男神田外語大学元学監『大学設置という重い扉を開け放つ』

新しいタイプの大学を創る。夢みたいな話ですよ。
とにかくやり切った。その手応えは一生のものですね。

昭和62(1987)年4月に開学した神田外語大学は、異文化コミュニケーションや言語教育、日本文化についての研究活動を積極的に展開するとともに、独立した英語学習機関としてのELI を設立し、文化理解と実践的な英語運用能力を兼ね備えた人財づくりのできる教育体制を一歩一歩実現していった。

平成2(1990)年7月、初代学長の小川芳男が逝去した。第1期生が4年生となった矢先のことであった。後任の学長には、英米語学科の学科長を務めていた井上和子が就任。言語学研究の大家である井上は、語学の単科大学としての価値を高めるために、大学院の設置に力を入れた。平成4(1992)年に修士課程、平成6(1994)年には博士課程が設置された。大学院の研究活動は平成8(1996)年、当時の文部省からCOE(Center of Excellence:卓越する研究拠点)に採択された。

平成9(1997)年4月、第3代の学長に石井米雄が就任。石井は外務省の職員として、在タイ日本大使館やアジア局に勤務した後、京都大学や上智大学で教授職を務めた人物である。アジア文化に精通した石井が学長となったことで、英米語圏以外の文化教育にも自然と力が入れられるようになった。平成13(2001)年には、東南アジアや南米の諸言語が学べる「国際言語文化学科」が設置された。

そして同じ年、神田外語大学は「国際コミュニケーション学科」を新設した。1980年代半ばに佐野隆治率いる大学設置準備室が夢見た学科がついに実現したのだ。

神田外語大学の設立に奔走し、開学後も教務や学事の責任者として大学教育の充実に務めた山本和男は、石井米雄学長時代の副学長などを歴任した後、平成17(2005)年5月に佐野学園の職員としての役割を終え、引退した。

大学設置の日々を回想し、長い時間をかけて取材に応じてくれた山本和男は、最後にこう語ってくれた。

「僕は大学設置というとても希有な体験ができた。佐野隆治さんに『大学の設置認可を受けろ!』と厳命されて、とにかくやり切った。新しいタイプの大学を創る。夢みたいな話ですよ。とにかく面白かった。その手応えは一生のものですね」(13/13)

山本和男(やまもとかずお)
昭和11(1936)年東京生まれ。早稲田大学商学部を卒業後、貿易会社勤務を経て、佐野学園に奉職。神田外語学院教務課を経て、昭和61(1986)年、大学設置準備室長。神田外語大学の開学後は、教務部長、学事部長、副学長、学監を歴任。平成17(2005)年の退職後は、愛犬のいる房総の別荘で晴耕雨読の日々を過ごしている。

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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