神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第8回 山岸秀豪佐野学園監事『受け継がれゆく創業の精神』

「なんだ俺の後輩になるのか?」と、
僕を受験の下見に連れていってくれた。

14歳、旧制中学のとき、終戦を迎えました。進駐軍が入ってきて、それまでの教育勅語に基づく教育がすべて否定された。戦中までは、男子生徒と女子生徒はできるだけ接触しないよう学校も通学路も分けられていたのが男女共学になりました。それだけ価値観がガラリと変わるのは悲劇だったけれども、一方で希望もあった。戦争の末期には、16、17歳で軍隊に行く者もいた。いつ何時死ぬかも分からない時代に育ってきましたからね。

だから、新しい教育制度が始まり、学生の自治が認められたとき、僕は入学した武生高校で積極的に自治会活動に参加した。生徒会長もやったし、後に上京して入った学生寮でも学生委員長を任された。そんな気持ちがあったから、政治家になるのも悪くないなと思って、中央大学の法学部を受けようと決めた。昭和27(1952)年の冬のことです。

東京・お茶の水の中央大学を受験するのに、上野の上車坂(かみくるまざか)にあった佐野きく枝先生のご自宅に泊めていただきました。喫茶店の千代田苑を開店して間もない頃だったかな。佐野公一先生、そして佐野隆治会長にお会いしたのは、このときが初めてです。公一先生は怖い人だという話を聞いていました。確かに、初めて会ったときは、鋭い人だなぁという印象を受けました。

でも、公一先生は僕が中央大学を受けることを知ると、「なんだ、俺の後輩になるのか?」と言って、お茶の水の中央大学まで下見に連れて行こうと言ってくれたのです。公一先生も中央大学の法科のご出身ですからね。その日は、長男である隆治会長もご自宅にいたので、公一先生は「一緒に行こうか」と誘って、3人で出かけました。そのときのことは鮮明に覚えていますね。田舎から出てきて心細かったときに、言葉をかけてもらっただけでなく、実際に連れて行ってくれた。うれしかったですね。

隆治会長は2歳年下で、当時は慶應高校に入学したばかりだったかな。田舎者の僕からすると、とても洗練されていて格好よかった。入学試験が終わると、ふたりでお茶を飲みに行ったり、隆治会長の部屋で相撲をとったり、そんな思い出がありますよ。(2/11)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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