神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第1回 佐野隆治会長『学院が誕生するまでの日々』

朝飯食べなきゃ腹減るでしょ。
モーニングサービスという言葉も僕が考えた。

高校2年生の夏、僕は肋膜炎と診断されました。それで高校を休んでいたんだけど、世田谷の奥沢に下宿するようになったんです。商売をしていたので、いい若い者が家にいたらみっともないってと言うんで。結局体は大丈夫だったんだけど、親元を離れたから友達や先輩と遊ぶようになって、勉強はしなくなっちゃいましたね(笑)。結局、慶應大学の法学部へ進学しました。経済学部へ行きたかったけど成績が悪くて法学部になりました。

大学時代もしっかり遊びましたよ。ただ、さすがに軍資金も稼がなくちゃいけない。友達の親父さんが外車の販売をしていたから、その友達と一緒に学校の友人たちに声をかけて車を売った。当時、フォードが120万円ぐらいだったけど、買う人はいくらでもいた。1台売れると5万円ぐらいもらって、友達と分けましたね。それと、ダンスパーティが流行っていたから主催してねぇ。5、6回は開いたかなぁ。目黒の雅叙園や丸の内の永楽ビルの地下ホールで開いた。ずいぶんと稼ぎましたね。他の大学の連中とのネットワークもできた。

親父の喫茶店もうまくいっていた。入谷に2号店を出して、神田に3号店を出した。僕も大学生だったから、神田店に住み込みながら、店の段取りをしていた。店は神田多町でした。駅のすぐそばです。

あの頃、学校行ってたから朝飯食べなきゃ腹減るでしょ。朝8時に店を開いて、コーヒーにトースト、タマゴを出すようにしたんですよ。いわゆるモーニングサービス。出勤前のサラリーマンがよく来てねぇ。今はどこでも出しているんだけど、あれは僕が考えた。その頃は今のように朝早くからうどん屋やラーメン屋がやっているわけじゃないし、みんなうちの店で朝飯を食べて会社に行く。ヒットしましたよ。モーニングサービスという言葉も僕が考えた。

大学には4年間籍があったけど、結局卒業はしませんでしたね。親父と喧嘩して神田の喫茶店からも飛び出して、中野あたりに住んでいた。お金がないから仕事をしなくちゃならない。(5/6)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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