異文化理解教育の先駆者たち

第2回 久米昭元立教大学特任教授『かつてない活動を展開し続けた異文研』

異文化を理解し、コミュニケーションを実践で学ぶ
衝撃を受けたミネソタ大学の博士課程に進学

西山先生はミネソタ大学のウィリアム・ハウエル教授の指導のもとで博士号を取得されていました。そこで、ミネソタ大学でのハウエル先生の講義について調べてみたのです。私はハワイ以外での研究調査にも費用を負担してくれるイースト・ウエスト・センターの制度を利用して、昭和50(1975)年の夏学期の集中講義をミネソタ大学で学ぶことにしました。

アメリカの大学でも異文化コミュニケーションの授業がほとんど行われていなかった時代です。ハウエル先生はスピーチ・コミュニケーション研究科のなかでこの領域の専攻を立ち上げ、関連する科目も数多く設けられていました。異文化コミュニケーションの講義では、クラスがアメリカ人の学生20人と留学生20人で構成されていました。実際の対話を通じて、異文化を理解し、コミュニケーションを体験として学ぶ授業でした。教室がまるで実験室。非常に画期的で衝撃を受けましたね。私もハウエル先生のもとで学びたいと思い、ミネソタ大学の博士課程に出願しました。昭和51(1976)年1月、常夏のハワイから真冬のミネアポリスへと飛び、異文化コミュニケーションを専攻し始めたのです。

ミネソタ大学では、大学内で留学生の財政的な相談に対応する仕事を得ました。その日の食事にも困っている留学生から依頼を受けてインタビューを行い、学費や生活費のローンを検討する。1週間に20時間ぐらいをインタビューに費やしました。ただ、困窮を訴えてローンを受けた後に、街で高級車を乗り回している留学生もいて、そんなときは、「やられた!」と悔しい思いをしましたね。

博士論文のタイトルは、『アメリカにおける意思決定に対する日本的アプローチの探査的研究』です。1970年代後半の当時、アメリカには日本企業が進出し始めていました。日本企業では事業の決定をする際に関係部署や上司の了承を取りながら、合意形成をしていきます。一方のアメリカ企業では、リーダーが自らの権限のもとに意思決定をし、そのうえで同僚や上司を説得していきます。

両者の違いは明確でしたから、私は日本企業で働いているアメリカ人が日本的なアプローチにどのように対応しているかを調査したのです。全米から5社の日本企業を選んで訪問して、数十人のアメリカ人マネジャーたちにインタビューをしました。 (3/9)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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