神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第5回 河村幹夫ブリティッシュヒルズ初代館長『外国人との交流は文化理解から始まる』

中世イギリスの建物群と英語漬けになれる環境を整え、「パスポートのいらない英国」を実現した国際研修施設「ブリティッシュヒルズ」。名誉館長の故・川田雄基氏は、イギリス文化に精通した人物であり、平成6(1994)年の開館から平成24(2012)年にご逝去されるまで、この施設に命を吹き込むために「文化の語り部」として活動を続けてきました。前職の三菱商事時代から川田氏を知り、交流を続けてきた人物に河村幹夫氏がいます。海外駐在を通じて異文化理解の重要性を感じ、ホームズ研究を続けられてきた河村氏に川田氏との思い出話や異文化を学ぶ大切さについてお伺いしました。(構成・文:山口剛/文中敬称略)

昭和20(1945)年8月、佐野学園の創立者である佐野公一・きく枝夫妻は、太平洋戦争の終戦を東京・上野で迎えた。日本が同じ過ちを繰り返さずに、平和な世界を実現するためには、外国人と理解し合える若者を育てることが必要だと痛感した佐野夫妻は、昭和32(1957)年、東京・神田にセントラル英会話学校を設立した。高度成長期が続くなか、仕事で使える英語を学びたいという若者が押し寄せ、昭和39(1964)年には神田外語学院に改称し、急速に規模を拡大していった。

神田外語学院の事務長として、経営を任されていたのは佐野夫妻の長男、佐野隆治(後の理事長、現会長)である。英語を母国語とする外国人教員を大勢採用するとともに、最新の視聴覚設備やビデオ教材を整えながら、学生が本物の英語を学べる学習の環境を実現することに惜しみない投資を続けていた。

だが、佐野隆治にはジレンマがあった。外国語を習得するには、朝から晩まで外国語の環境にいるのが最適である。しかし、学院があるのは東京の神田。校舎を一歩出れば、せっかく学んだ外国語も飲屋街の喧噪にかき消されてしまう。海外の大学と提携を結び、現地での語学研修のプログラムも積極的に整えたが、経済的な理由があるので、すべての学生が参加できるわけではない。「バスでも行ける日本国内に本物の外国を体験できる研修施設をつくりたい」。佐野のなかで、その思いは年々強くなっていった。

昭和62(1987)年4月、千葉・幕張に神田外語大学が開学した。昭和50年代後半の文部省は、大学受験者数の減少を見込んで大都市圏での大学新設に歯止めをかけていた。だが、佐野学園は「外国語だけではなく、文化とコミュニケーションを学ぶ大学をつくる」ことを掲げ、新大学設置の認可を得たのである。

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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