神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第24回 窪田高明 神田外語大学名誉教授『大学としての進化を支え続けた30年』

新たな学科設立を視野に入れ
教員をまとめる教務委員長に就任

開学当時、学長は小川芳男先生でした(※6)。英語教育界の重鎮でしたし、その当時、すでにご高齢だったので、お話しする機会はほとんどありませんでした。小川先生が亡くなられて、井上和子先生が第2代学長になられました(※7)。井上先生がいらっしゃった英米語学科と僕のいた一般教育は大学のなかで二大勢力でした。意見の一致しないこともあり、井上先生にはご迷惑をおかけしたこともあります。

でも、今になって思えば、井上先生は開学4年目で学長になられて、英米語学科のガバナンスでも苦労されていたし、何より大学全体を治めるのは大変なことだったと思います。何も分かっていない僕は「井上先生は権力者だからお強い方だろう」と決めつけていましたが、むしろ、非常に厳しい環境で学長の仕事をされていたのです。

平成5(1993)年、僕は『王権と恋愛 幸福の思想』という研究書を出版しました(※8)。井上先生はすぐに読んでくれました。井上先生との関係が変わったのはその時からです。以来、折にふれて温かい言葉をかけていただけるようになりました。井上先生は日本を代表する言語学者ですから、研究を重要視されていました。僕が自分の研究成果を出版したことで、研究者として認めてくださったのでしょう。

辛い思いをされながら学長の任務を果たされた井上先生でしたが、大学院やCoE(Center of Excellence:卓越した研究拠点)などご自身にとって、そして大学にとっても有益な実績を作れたからこそ、頑張りとおすことができたのだと思います(※9)

平成10(1998)年、石井米雄先生が第3代の学長に就任されました(※10)。当時、神田外語大学には、教員側の管理職というのは学長以外には学科主任しかいませんでした。学科を横断する教員のまとめ役が必要ということで教務委員長が設けられ、韓国語学科長だった濱中先生が就任しました。濱中先生が退任された後、僕がその仕事を受け継ぐことになりました。その頃、新学科設立の準備も始まりました。僕は大学改革委員会の委員長も兼任しました。教えること以外の仕事が増えていったのはこの頃からですね。(5/8)

  1. 小川芳男:神田外語大学初代学長。東京外国語大学で学長を2期務められた英語教育界の重鎮。平成2(1990)年永眠。享年81歳。
  2. 井上和子:神田外語大学第2代学長。日本における言語学の権威。平成29(2017)年5月永眠。享年98歳。
    » 第2回 井上和子 神田外語大学第2代学長『新しい試み、その可能性にかける』
  3. 『王権と恋愛 幸福の思想』(ぺりかん社)。平成5(1993)年12月初版発行。
  4. 神田外語大学では、平成4(1992)年に言語科学研究科の博士前期課程を設置し、2年後の平成6(1994)年には博士後期課程を設置。平成8(1996)年には文部省(当時)からCoE(Center of Excellence:卓越した研究拠点)として認定された。
  5. 石井米雄:神田外語大学第3代学長。京都大学名誉教授。平成22(2010)年2月永眠。享年80歳。
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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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