神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第20回 佐野きく枝 神田外語学院第2代学院長『心の交流が争いのない世界を創る』

いいところをみつけるには、生徒ひとりひとりと
触れあい、よく知らなくちゃできません

生徒にはそれぞれ適した学び方がある。きく枝が教師時代に実践していた教育は、後に神田外語グループが先駆的に取り組み始める自立学習に通じるところが大きい。その教育哲学もまた、父、金右衛門の影響によるものだった。

「父に、あまり叱られたことはありません。父はどちらかというと、ほめて育てるというふうでしたから、私も、父にならって、生徒を叱ることはあまりしません。10のうち8つほめて、2つ叱ればいいという教育方針です。これねえ、言葉でいうのは簡単ですけど、容易じゃありませんよ。その子のいいところをみつけるには、生徒ひとりひとりと触れあい、よく知らなくちゃできませんからね。」(※6)

「その子の程度に合わせた教え方をしなければ伸びる子も伸びないのです。波長が合わないのは、学生にとっては、かわいそうですもの。ちょっと自分のことで面映いんですけれど、面白い教え方するのがいるな、と話題になって、あちこちと学校を移りましてね。まあ、そのたびに給料をポンポンと上げていただいたりしまして。」(※7)

冗談まじりに給料のことにも言及しているのも、生活の糧としての実務教育に専心してきたきく枝ならではと言えるだろう。教師という職業は、きれいごとではなく、能力に応じた対価の得られるプロフェッショナルの仕事なのだ。

教師としての実績を積み始めたきく枝だったが、将来の見通しは決して明るくなかった。地主として栄華を誇ってきた黒田家は土地や財産を失い、父は病に倒れた。鯖江で5年間ほど教師を務めた後、きく枝は父とともに上京する。父を看病しながら、昼は働き、夜は女学校の教師を目指して学校に通っていた。きく枝が佐野公一と出会ったのは、そんな時期だった。

写真上:学院の運動会に参加された
佐野きく枝先生。(水野五行氏提供)?
写真下:信念に基づく佐野きく枝先生には
メディアからの取材も多かった。
(「新女性セミナー 神田外語学院・
学院長 佐野きく枝さん」(『女性セブン』、
小学館、昭和60年4月25日号)より)

佐野公一は静岡県富士宮市の農家に生まれた。家業を継がずに上京し、中央大学法学部に入学。卒業後は、紳士服の外商をしていた。ふたりは昭和6(1931)年に結婚。新婚生活のなかで、きく枝は公一の独特な価値観を知ることになる。結婚をする前、きく枝の父、金右衛門は、「あの人と結婚すると、そうとう苦労するぞ。それでもいいのか」と確かめたという。(3/7)

 

  1. 「新女性セミナー 神田外語学院・学院長 佐野きく枝さん」より
  2. 「対談 心の触れあう教育を」より

 

学校法人佐野学園:理事長室・いしずゑ会
〒101-8525 東京都千代田区内神田2-13-13
TEL: 03-5289-8828

法人本部広報部 渡邉公代
TEL:03-3258-5837

写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

本ページの記事・写真等及びコンテンツの著作権は、
神田外語いしずゑ会、写真家または情報提供者それぞれに帰属しています。

閉じる