神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第10回 古田暁神田外語大学名誉教授『異文化コミュニケーションの夜明け』

外に開かれた異文化コミュニケーション研究所。
権威に屈せず、若い才能を発掘する。

神田外語大学の開学と同時に、異文化コミュニケーション研究所は大学附属の研究所となり、本部を大学内へと移した。研究所は、開学2年目の昭和63(1988)年4月、ニュースレター『異文化コミュニケーション』を創刊する。年3回発行され、研究者たちの寄稿文、研究所が開催する講演会やセミナーの報告や感想、そして学会や他大学のイベントなど研究所以外の動きも掲載された。ニュースレターは全国の大学学長や研究機関、研究者、図書館などに無償で送付された。その数は、数百通に上ったという。キーパーソンをターゲットに送られたニュースレターは、異文化コミュニケーションを日本のアカデミズムに浸透させていくうえで大きな役割を果たした。

神田外語大学の附属機関となった異文化コミュニケーション研究所だが、大きな特徴は外に開かれた研究機関であることだった。その特徴を表現するのが昭和63年から発行が始まった紀要『異文化コミュニケーション研究』である。日本で初めての異文化コミュニケーションに関する研究誌だ。編集方針も画期的で、毎号、神田外語大学の教員の論文は1本ほどで、それ以外は国内の他大学、海外の大学や研究機関の研究者が投稿した論文である。この分野を研究している者であれば誰でも投稿できるシステムが採用されており、掲載する論文を選ぶ編集委員も古田と久米以外は他大学の研究者で構成された。それゆえ、執筆者も、助教授や非常勤講師、大学院生など、若い研究者たちが多かった。

一方で、どれほど著名な学者であっても、掲載の価値がないと判断すれば、ボツにした。古田のもとで編集に携わっていた久米はこう証言する。

「日本の大学では偉い先生の論文は内容に関わらず掲載するものですが、古田先生は絶対にそれはせずに、スパッと切られた。相手がどれだけ名のある著名な方であっても、怒っても態度を変えず、妥協しませんでした」

意欲のある若い研究者たちに発表の機会を与えようとする古田の理念と編集者としての手腕により、『異文化コミュニケーション研究』への投稿は年々、増えていった。そして、古田を異文化コミュニケーションの世界へと引き込んだエドワード・C・スチュワートもアメリカから論文を寄稿した。(11/15)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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