神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第7回 佐々木輝雄氏『理想の英語教育を求めて』

この人が教授にならなくて、
いったい、誰が教授になるのですか?

もちろん、文部省でお会いする以前から、小川芳男先生は存じあげていました。著書もずいぶんと読んでいました。でも、実際にお会いしたのは協議会が初めてでした。不思議なことで、小川先生も私に興味を持たれたようです。私が講演をすると小川先生が足を運んでくれる。私はすべて英語で講演をしましたから、小川先生も興味を持ってくれたのでしょうね。

そして、昭和60(1985)年に神田外語大学の設立が文部省から承認されて、小川先生から参加の要請をいただいたんです。私が文部省を定年退職する年の昭和62(1987)年に大学が開学することになりました。私は4技能による総合的な英語指導を提唱し、小川先生も同じ考えを持っていらっしゃった。だから、小川先生はご自分が学長をされる神田外語大学には、私が適任だと思ったのではないでしょうか。

私自身も、定年退職を控えて、どうするかを考えていました。文部省の教科調査官は大学の先生になる方が多い。それと高校の校長ですね。どうしようか考えているときに、小川先生から誘っていただきました。大学では、教員を養成する教科教育ができます。そこで指導ができれば、私が文部省で関わってきた学習指導要領を具体的に展開する英語教員を養成できる。それを体験してみたかった。私には渡りに船の大チャンスだったというわけです。

大学の設立にあたっては、「大学設置準備委員会」が組織されます。その会合のなかで誰を教授にするかを話し合うんですね。小川先生が私を教授として推挙してくれましたが、大学教育での経験がないから、相当揉めたらしいです。しかし、小川先生が「この人が教授にならないで、一体誰が教授になるのですか?」と強く推してくれたので教授になることができました。

正式に教授として就任することが決定したのは開学の1年前です。昭和61(1986)年ですね。私はまだ文部省で働いていたから、とても忙しくて、当時、教務部次長だった山本和男先生とカリキュラムの相談をしなければならないのに、なかなか会えなかった。「先生、明日はどこへお出かけですか」と聞かれ、私が筑波に出張することを伝えると、山本先生はカリキュラムの打ち合わせのために、朝の上野駅までわざわざ来てくれたことを記憶していますね。(5/10)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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