神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第7回 佐々木輝雄氏『理想の英語教育を求めて』

「決まっているからダメ」と言われ、
文部省でもずいぶんと反発しました。

千葉東高校で教えていた頃は1960年代の終わりで、学生運動が盛んだった時代です。この高校は千葉県で初めて学生たちによるバリケード封鎖が行われた学校でした。校内が占拠され、入り口は椅子や机が積み上げられている。屋上からは砂の入った牛乳瓶が投げつけられてくる。当然、千葉県の教育委員会からも職員が来て、対応にあたる。私は学年主任だったから現場での対応を彼らとともに行っていました。そんな縁もあって、千葉県庁のほうで英語の指導主事を探していて、私に声がかかった。県庁になんて行きたくなかった。自分は教えるのが好きだし、管理なんて大嫌いだから。

でも、実際に働き始めてみると、現場で英語を教える先生方に対して指導をするわけですから、やりがいがあるんですね。当時は、訳読式が主流でした。読んで訳す。これは変えなければいけない、と私は思いました。だから、千葉県の英語教員が集まる研修では、4技能を総合した英語指導法の重要性を説いていきました。「読む」「訳す」に加えて、「話す」「聞く」も入れた4技能です。コミュニケーションとしての英語を伸ばすことが重要だと思ったのです。アメリカでは、あまり読むことは勉強しましせん。それよりも、ディベートをして話す力、考える力、そしてコミュニケーションの力を高めていく。私自身も研修会や研究会では英語でスピーチをするようにしました。

千葉県庁には5年いました。その頃から高校の英語教員の海外研修なども始まって、本当にやりがいを感じていたのですが、今度は文部省へ行くはめになった。文部省のほうで英語指導の人材を探していました。私は、何かと英語でスピーチをしていたから、目立ってはいました。ただ、希望する方も多かったので無理だろうと思っていたのですが、他の人たちが足の引っ張り合いをしているうちに、結局私に決まった。でも、嫌でしたね。役所っていう所は本当に融通がきかない。なにかにつけ、「決まっているからダメ」と言われる。ずいぶん反発しましたよ。

私は昭和60(1985)年に文部省に入省したのですが、その年に、後に神田外語大学の初代学長となる小川芳男先生に出会いました。小川先生を座長とする「英語教育改善協議会」というものがあり、何年も前からやっていたのですが、ちょうど私が入った年に答申を出すことになっていた。私は、教科調査官として協議会の答申づくりに参加しました。(4/10)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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