VOICE
2022/05/24
間違えたり通じなかったりすることを恐れるあまり、外国語を使ってみることをためらうという人もいるかもしれません。「上手になってから話そう」とか、「文法的に正しい文で話そう」と思うと、なかなか実践する勇気が出ません。でも、どんどん語学を使って、どんどん失敗することこそが、語学上達への近道です。
とはいえ、やっぱりちょっと勇気が出ない、という人もいるかもしれません。
そんな人のために、今回は外大教員の「語学失敗談」をテーマとしました!
大学生のときにアメリカのレストランでSoup or salad?と聞かれたのに、super saladと聞こえてしまい、「アメリカでのスーパーサラダってどれだけ大きいサイズなんだろう?」と気になりサラダを頼んだら、普通のサイズで拍子抜けした。自分のリスニング力のなさを実感。
ずっと昔、アメリカに行ったばかりの頃のこと。食料品店で会計の際に、店員にpaper or plastic?と聞かれました。「(買ったものを)紙袋かビニール袋のどちら入れますか?」という質問です。そもそも選べるということを知らず、プラスチックは硬いものというイメージがあったので、最初は何を聞かれているのかわかりませんでした。
現地の習慣を知らないと、簡単な単語でも理解できないというプチ異文化体験でした。
むしろ成功談がないと言っても良いかもしれません。外国語を使用すると「楽しい」とか「理解できた」とかよりも「失敗した」「恥ずかしかった」「ストレスが溜まった」ということの方が多いです。ネイティブじゃないので。「失敗」と判断せず、それが普通であると考え気にしないことにしています。
イスラーム教徒の人にアラビア語で挨拶すると非常に喜ばれるので、張り切ってアラビア語で挨拶、自己紹介します。こればかり繰り返しているのでとても流暢にそこまではできてしまうのですが、その後アラビア語でまくしたてられ、すぐに「English please」と言ってガッカリされることがよくあります。が、Never mind. いつもこれを繰り返して乗り切っています。失敗ではありません。これが普通です。
何語でもいいからコミュニケーションをとるのが大切です。日本語でも場合によっては全然理解されたりします。
失敗談、もちろん私も山のようにあります。今なら笑って話せるものも、今も心にほろ苦い思い出として残っているものも。私はポルトガル語の教員ですが、まずはアメリカにいたときの失敗談からお話ししましょう。
アメリカに1年間滞在していた時のこと。英語力はまだまだだったものの、少しずつ周囲の人とうまく意思の疎通ができるようになった時期がありました。「わたしなかなか、上達してきてるんじゃない?!」と満足し始めていました。そんなある日のこと。初めてお会いしたアメリカ人と話そうとしたら、なんと会話がほとんど成立しなかったのです。
そこで気づきました。私の英語が上達したわけではなく、私の周囲のアメリカ人の「わたしの下手な英語を理解する能力」がアップしただけだったのだと。いつも一緒に過ごしている人たちは、私の拙い英語を的確にくみ取ってくれていたのですね。慢心を反省し、また周囲の人たちの温かい見守りに改めて感謝した出来事でした。
ブラジルにいたときも、似た単語を間違ってしまったことは何度もあります。薬局で「azeitona(オリーブオイル)ください」と言ってしまったことがあります。私が買いたかったのは「acetona(除光液)」でした。店員さんのきょとんとした顔を今でも覚えています。
相手が「edifício」と言っていたのに、私が「É difícil」と聞き間違えたまま会話を進めていたことも。前者は「ビル」、後者は「それは困難だ」という意味です。よくこれで会話が成立していたな・・・。
山のように失敗談を積み上げた頃にようやく、「力を抜いて話せるわ」という時期が来るのかもしれません。そう思えば、失敗を重ねることも怖くないですね。
今は教壇に立って大学生に教えている教員も、たくさんの失敗を経てここまで来ました(そしてきっと、今も失敗を重ねているはず)。
一つ失敗したということは、一つ前進したということです。
教員の失敗談が皆さんの背中をそっと押せるといいなと思っています。
文 奥田若菜(ブラジル・ポルトガル語専攻教員)