神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第22回 佐藤徹神田外語大学元事務局長 『建学の理念を体現する大学を目指して』

誰にも経験のない第1回の大学入試
不正と過ちを防ぐために万全の体制を敷いた

佐藤徹が佐野学園の就業規則の作成に取り組んでいた昭和61(1986)年12月、文部省は神田外語大学の設置を認可した。この通知を受け取ると、職員たちは神田外語学院で培ってきた広報の手腕を発揮し、新大学の開学の告知と学生募集を積極的に展開した。わずか数カ月の期間のうちに、定員の300名を遥かに上回る約3000人以上の志願者が集まったのだ。

佐野学園にとって初となる大学入学試験を指揮したのが、前職の出版社時代に大学入試模擬試験の責任者を務めていた佐藤だった。佐野学園の法人本部総務部長との兼任で入試センター長に就任した。佐藤が徹底的にこだわったのは、「絶対に不正は許さない」「過ちも犯さない」の2点だった。

まず試験問題については、学長である小川芳男が大きな方針を定めた。読解問題などの記述試験については文部省出身で、教授への就任が決まっていた佐々木輝雄が担当。当時には珍しく時事問題を取り入れた試験問題が創案された。

リスニング試験は30分。試験問題の草案づくりを担当したのは神田外語大学の教授として後にELI(English Language Institute)を設立するフランシス・ジョンソンである。受験会場は神田外語学院と神田外語大学だったが、3000人にも及ぶ受験者が等しくリスニング試験を受けられる環境があるのも、佐野学園が視聴覚設備に惜しみない投資を続けてきたことの成果だと佐藤は指摘する。

佐藤は、教授陣から試験の方向性を確認したうえで、西日本に本拠を置き、「進研ゼミ」を展開していた福武書店(現・ベネッセコーポレーション)に問題作成を発注した。大学入試の試験問題作成は民間企業が受託するが、実際の問題づくりは高等学校の教員が行う場合がほとんどだ。長年の付き合いがある前職の出版社にも頼めたが、情報の漏洩を危惧し、万が一漏洩しても影響が少ない西日本の会社に発注したのである。印刷は大蔵省印刷局に発注し、大学までの試験用紙の運搬にはガードマン付きの特別車輛を用意するという徹底ぶりだった。

また、入学試験には多数の監督員が必要である。佐野学園の職員や大学に就任予定の教員を総動員しても必要な人数はそろえられない。そこで、佐藤は出版社時代に付き合いのあった会社に依頼して、必要な監督員の人数をそろえたのである。(4/8)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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