神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第5回 対談:宇佐美志都(書家)×佐野隆治会長『今を捨て、次に踏み出す勇気』

中途半端な出来の作品を捨てる勇気がなければ、
次の作品は決して降りて来てくれない。

佐野:僕はね、人は遊ぶことが大切だと思うんですよ。遊びは日常から離れること。日常は勤勉に、きちっと働く。でも、そこから外れることが人間には必要なんです。そうすると、いろんなことを感じられる。書でも、上手に、きれいに書きますね。でも、そこからは自分が出てこない。壊すっていうのかな、それがないとね。

宇佐美:そうですね。壊すことで生まれるものがあります。壊すことからしか生まれない、という言い方もできますね。

佐野:でも、壊せば元に戻るんですよ。子どもがそうですよ。おもちゃがあったら壊すけど、直そうともする。小さい頃は直せないけど、大きくなるにつれて、直せるようになってくる。だから、まず壊すことが大切なのかなと。若いうちは多少、軌道から外れてもいいと思うんですよ。きっと自然に直す力が働いていくはずだから。

宇佐美:壊し時、って自分にしか分からない。でも、そのとき、そのとき、溢れてくるものがありますからね。

佐野:組織にも何かを壊すことが必要なときがあります。これが、一番大変なんだ(笑)。創るほうがずっと楽ですよね。ひとつの精神で、ひとつの組織を創っていくのは、割と楽ですよ。でも、いったん創った仕組みを壊すのは、数倍の力が必要です。みんな、その仕組みに安住しちゃうから。「これをやっていれば間違いない」という価値をひとつずつ壊していかなくちゃいけない。

宇佐美:書の作品づくりでも壊すことが大切です。それなりによい作品が出来るときがあります。でも、「これだ!」っていう確信が持てていない場合、そういった作品を捨てずに身の回りに置いておくと、真の作品は絶対に生まれないんです。そこは見切って、もったいないけれど、「これを捨てられる自分であれば、きっとまた溢れられるはず」って信じるしかありません。中途半端な出来の作品を捨てる勇気がなければ、次の作品は決して降りて来てくれないのです。都合のよい話は、なかなか、ないものですね。

佐野:なんとなく、分かる気がするね。壊しちゃうと無になってしまう。また、創らなければならない。それを繰り返すには、本当に強いエネルギーが必要なんだということですね。分かりますよ。

宇佐美:中国の書のなかに、「満而不溢」という言葉があります。人は、満ち満ちていくけれど、決して溢れない、という意味ですが、お話を聞いていると、佐野会長は、ずっと満ちて溢れてこられたような、これからも、泉のように溢れていくような印象を受けました。

佐野:いやいや、単に、浮気なだけですよ。

宇佐美:浮気?

佐野:根底がないから、すぐに根底を崩して、新しいことをやらなきゃと思う。単なる浮気者に過ぎないですよ。芯がしっかりしていないと、自分では思っています。それに、僕は執着心があまりないんです。人生は執着も必要だけど、執着心が強すぎると発展できない。執着しないから、捨てられる。

宇佐美:皮を脱いで、脱皮する。人生の節目では、切り替えて、捨てて、自分を律していく勇気が必要なのかもしれませんね。

佐野:孔子が「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。」と言っていますが、座っていて、立ったから、かたちが変わるわけでしょ。

宇佐美:そこに変化がある。人生の節目には必ず変化がある。

佐野:本来の意味は違うかもしれないけれど、僕は、孔子の言葉に、そんなことも感じますね。(5/6)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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