神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第2回 井上和子神田外語大学第2代学長『新しい試み、その可能性にかける』

学部教育もユニークで、大学院の研究にも熱心。
神田外語はバランスのよい大学になりました。

大学院については、平成4(1992)年に言語科学研究科で博士前期課程を設置し、2年後の平成6(1994)年には博士後期課程を設置しました。言語はヒトの本質です。言語とは何かという問いかけは、ヒトとは何かという問いかけでもあるのです。英語と日本語の研究を中心に、言語学の本質に迫り、言語教育のあるべきかたちを探求することを、研究のテーマとして掲げました。

大学院を高めるのに役立ったのは文部省(当時)のCOEです。"Center of Excellence"(卓越した研究拠点)といって、重要な研究を行う可能性を持つ大学院が受けられる研究費の助成です。人文の分野でCOEをいただいたのは神田外語大学が初めてでした。当時の学術審議会の委員長は天満美智子先生。津田塾大学の学長を務められた方です。天満先生は大学へ視察に来られて、COEの取得を支援してくださいました。

平成12(2000)年12月に開催した「COE国際シンポジウム」をはじめ、COEのおかげで、海外から著名な先生を数多くも招くことができました。このプロジェクトは後に言語科学研究センターとして独立して、さまざまな角度から言語と言語研究に関する研究を行う機関となりました。

神田外語大学の大学院からは数多くの博士たちが誕生しました。博士課程を修了しただけでなく、きちんと論文を書いている博士が多いことが評価される理由です。

私自身、論文で博士号を取得しました。31歳のときにフルブライト留学制度の前身のガリオア・プログラムでアメリカに留学しました。まさか受かると思っていなかったので、留学先も考えていませんでしたが、カリフォルニアのミルズ大学で文学を学ぶことになりました。興味があったので、独学で言語学の専門書を読破しました。その中に、アメリカ構造主義言語学の祖、ブルームフィールドの著書"Language"があったのです。その後も奨学金をいただきながら、ミシガン大学の修士課程で"Teaching English as a Foreign Language"(外国語としての英語指導)を学びました。

ミシガン大学には当時、フリーズ先生やラド先生といった外国語としての英語指導の分野で世界的な権威がいらっしゃいました。ラド先生もこの分野で博士論文を書くことを勧めてくれました。でも、ブルームフィールドの "Language"が忘れられず、博士論文は言語学で書きました。そんな経験もあって、神田の大学院でも論文博士の養成には力を入れてきました。神田はいろいろな大学から優秀な人を集めてどんどん論文博士を出していけばいいと思いますよ。

神田外語大学出身の研究者は海外でも認められているし、国内の大学でも要職に着き始めました。言語学者のチョムスキーをはじめ、海外の著名な研究者も来日するとこの大学で講演をしてくれます。学部教育もユニークで、大学院の研究にも熱心というバランスのよい大学になりましたね。
私は学長を7年間務め、平成9(1997)年に石井米雄先生にバトンタッチしました。石井先生はポリグロット、語学の天才でした。いくらでも外国語を覚えられる。私なんて理論ばかりで、できる言語なんて限られています。石井先生はアジアの言語が強くて、タイ語などは托鉢(たくはつ)しながら覚えたそうです。私とは対照的で、英語以外の言語で造詣の深かった石井先生が学長に就任して、神田は外国語大学としての幅や多様性が広がっていきました。

学長を辞めた後も大学院の教育は任せていただきました。大学院では理論を中心として、英語教育と日本語教育に重点を置きながらプロを育てるというかたちを貫きました。平成13(2001)年には言語科学研究センターが設置され、私は顧問に就任しました。今でもゼミを持っています。学校に行く日は、朝から夕方まで学生たちの論文を見たり、ディスカッションをしたりしていますよ。(4/5)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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