神田外語大学同窓会

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仕事と子育ての2本立てで頭の中はフルスピード!

みなさんこんにちは。2004年卒 持塚です。卒業後、一度は教員として働きましたが、縁あって今は母校である神田外語大学で働いています。今回は周囲の理解と支援があるからこそ成り立つ、子育てと仕事を両立しながら辿り着いた心境についてお話したいと思います。同じような悩みを持つ方と共感出来たら嬉しいです。

 卒業後は目標の教員へ、しかし頓挫。 

在学中は教職課程と日本語教員養成課程に取り組みながらHello Timeの初期有志メンバーとしてボランティア活動に積極的に参加していました。子供が大好きで世話好きということもあり、2年次には近隣の小学校へ活動支援のボランティアを、3年次から卒業までは小学校支援の他に都内の家庭支援センターで、子育て支援のボランティアを続けました。そして4年次、周りが就職活動をする中、私は教員になる道を選び、卒業後は中学校の英語教員に。ところが今まで学んできたことが、あっという間になくなってしまい、それを埋めるために学びの時間を確保しようと隙間時間の捻出に苦労しますがなかなかうまくいきません。あれこれ悩むうちに、ふと10年後の自分が教員として魅力ある人間になれているのかイメージできない状態に陥ります。「このまま立ち止まるわけにはいかない」と思い直し、社会人として周りを見てからもう一度教員に戻ろうと気持ちを切り替え先生という仕事を辞めました。 

 

ボランティアでつながった新たな仕事も今年で15年目 

転職活動中、学生時代にボランティアでお世話なった方からメールをもらい、近況報告をする中で求人の話を聞きます。在学中の勉強は大変だったけれど、楽しい思い出もたくさん蘇り、今度は自分が後輩に大学の良さを伝え、学生を応援しようと早速申し込み。早いもので今年15年目!その間、様々なことが起こりました。

特に記憶に残っているのは20113月に起きた東日本大震災の時。同年4月に30歳という一つの節目を迎えることもあり、そろそろ結婚でも・・・と考えている矢先の出来事でした。実家は福島県のいわき市で被害も大変大きく、身内の安否が頭の中を占めてしまい、結婚どころではなくなっていました。でも、そんな時だからこそ一人で抱え込むのではなく、支えあえる家族がいたらどんなに心強いだろうかと前向きに考えなおし、長らく付き合ってきた彼と201211月に入籍をしました。

 

仕事が面白すぎて、踏ん切りがつかない 

子供のころから両親が働いていたこともあり、自然と仕事と家庭は両立するものだと思っていました。ところが、仕事がとても面白くて子供を作る覚悟がなかなかできないまま月日は流れてしまいます。「20代までは自分のため、30代からは家族のための人生、60代からは他人のための人生を生きていきたい」という人生プランを立てたはずなのに。。。ここでまた踏みとどまります。

時間は戻せない。

 人生プランの「35歳までに子供を2人」という目標は今しか実現できない。やっと覚悟を決めた瞬間でした。早速私は、妊活(不妊治療)に取り組みました。結婚すれば自然と子供が授かり、生まれてくるものだと思っていましたが、人の体とはそう簡単ではありません。いろいろなことを学びながらも地道な努力の甲斐あって、20154月に待望の長男が、そして20178月には次男を家族に迎え入れることが叶い、現在、5歳と2歳の母として育児も仕事も奮闘中の日々です。

子供に合わせたスケジュール、そして気づいた「育児は育自」 

子供が生まれてから変わったことといえばスケジュール管理。仕事と育児を両立するために、一日のスケジュール、1週間、1か月間、1年をどのように過ごすかを毎日フル回転で知恵を振り絞ります。もちろん計画通りになんて進みません。修正の繰り返しと、大きな声を出しては反省の毎日。それでもうまく回せるのは、家族や職場の人たちの理解や支えがあってのこと。大変だけれど、その分の充実感は計り知れません。そして、子供たちを預かる保育園の先生方には本当の家族のように一緒に子供たちを育ててもらい、毎日感謝の気持ちでいっぱいです。

子育てに正解はありません。勿論人生も正解なんてわかりません。間違いないことは、今を精一杯前向きに生きると未来につながることだけだと思っています。少なくとも子供が大きくなったら理解してもらえるのかな(?)と。。。仕事と子育ての両立は一筋縄ではありませんが、先輩ママから教えてもらった「育児は育自」の考え方を大切に、これからも周囲の人たちに感謝しながら私らしく取り組んでいきたいと思います。

 

2004年3月
英米語学科卒業
持塚 真弓

 

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