神田外語グループのいしずえを築いてきた人々

第9回 池田弘一神田外語大学名誉教授・ミレニアムハウス館長『日本を見つめ、世界の風を感じる』

僕は教員。とにかくしゃべりまくるから、
取れるものがあれば持っていけばいい。

なにしろ大学が出来た頃はみんな不慣れだった。開学に合わせて集まってきた先生方のなかには、自分の所属してきた大学で教授をしていた人もいるから、「大学というのはこういうものである」という考えを持っていた。一方で、神田外語学院育ちの職員たちは、正直言って大学の運営なんて分からない。他の大学の事務局から転職された方もいたけど、その人たちだって大学の開学に立ち会った経験なんてない。

大学は開学からの4年間で、卒業生を出して初めて完成となる。それまでは教員も変更できない。当時の佐野隆治会長のご苦労は大変なものだった。要するに我慢ですよね。ご自分にはきちんとした考えがあって大学を創った。やりたい方針も決まっている。でも、年配の教授陣を怒らせるわけにはいかない。僕なんか怒らせちゃう口だから。ある先生が「私の誉れある体験に基づくと……」などと言いやがった。だから、僕はその先生のそばへ行って、「先生、恐れ入りますが、先生の誉れある体験を捨てる勇気をお持ちください」って言いました。その先生、真っ赤な顔をしていましたよ。でも、僕は別にその先生に雇われているわけじゃない。部下だとも思っていないから、平気でそんなことも言えた。

僕は何にも貢献なんかしていませんよ。でも、事務局がうまくいくように、ただそれだけを心がけてきました。大学が開学した頃は、職員に威張る教員がいた。年寄りならまだ許せるけど、若いのにずけずけものを言いつける奴がいる。僕は、事務局に何か文句を言ってくる教員がいたら、うなりをあげて、刃向かった。「てめぇ、やるか?」って感じで。長唄だって65年続けていますから声だけは出る。でっかい声出して、タンカが切れますよ。論理的なことはダメよ。論理的なこと言われたら頭がこんがらがっちゃいますね。とにかく、隆治会長もずいぶんと我慢された。そして、あの時代をくぐり抜けた事務局の職員は強いんですよ。

僕は今でも「教員です」とは言うけど、「教育者です」なんてことは言いません。学者でもなきゃ、研究者でもない。教員です。教育機関に勤務して、お給料をいただいている人間。だから知識を伝えるためにしゃべる。100も200も、1000も2000もしゃべるから、ひとつでも、ふたつでも取れるものあったら、持ってけと。50持っていったって、追徴金は取らない。僕から持っていった知識に、また自分なりの考えを付け足してくれればいい。(8/11)

学校法人佐野学園:理事長室・いしずゑ会
〒101-8525 東京都千代田区内神田2-13-13
TEL: 03-5289-8828

法人本部広報部 渡邉公代
TEL:03-3258-5837

写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

本ページの記事・写真等及びコンテンツの著作権は、
神田外語いしずゑ会、写真家または情報提供者それぞれに帰属しています。

閉じる