異文化理解の先駆者たち

第1回 古田暁神田外語大学名誉教授『異文化コミュニケーションの夜明け』

古田の培ってきた広大な人的ネットワークが
個性豊かな一般教育と研究所の活動を可能にした。

佐野隆治と古田暁は昭和59(1984)年3月に、「異文化コミュニケーション研究所」の設立で合意する。そして、後に神田外語大学の骨格となる「太平洋圏の時代構想」もこのときに打ち立てられた。5月、佐野学園の所属研究機関として東京・神田に異文化コミュニケーション研究所が発足した。異文化コミュニケーションに関する日本で初めての研究所の設立である。

古田が研究所所長に就任し、佐野学園の一員となったことで、大学設置申請が一気に真実味を帯びてきた。古田は膨大な人的ネットワークを持っていた。まず、中世神学の専門家としてキリスト教系の大学の教員からは高い評価を得ていた。そして、”Encyclopedia of Japan”では編集者という立場で、国内のあらゆる分野の研究者たちと交流していた。この幅広い人脈によって大学設立に向けて一般教育の教員たちを集める目処が立ったのである。佐野隆治は当時を振り返ってこう語る。

「外国語に関しては(初代学長の)小川先生に任せていた。でも、大学を創るには一般教育の先生が必要になるし、揃わなければ申請もできない。古田先生に出会えたから、これで大学が創れると本気で思えたんですよ」

古田は大学設置のための準備を行う一方で、異文化コミュニケーション研究所の活動も本格的に開始する。まず、研究所の活動領域を「啓蒙」「研究」「教育」の3分野に定めた。立ち上げ当初は、大学設立の社会的な背景を創るためにも啓蒙活動に比重が置かれた。記録に残る最初のイベントは、昭和59(1984)年11月に開催された『国際シンポジウム 日本の国際化に果たす教育の役割』である。

昭和60(1985)年になると神田外語学院の講堂で講演会シリーズを開始した。12月20日に開催された第1回の講師はコロンビア大学教授のドナルド・キーンだった。日本の文化を欧米に広く紹介した日本文学研究の第一人者である。昭和63(1988)年度までの4年間で25回もの講演会が開催され、文化やコミュニケーションの分野で著名な研究者たちが次々と登壇した。ここでも古田の幅広い人脈が遺憾なく発揮されたのである。(8/15)

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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