神田外語大学同窓会

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私を成長させてくれた言葉で振り返るこれまでの歩み

同窓会のブログでは幅広い働き方や生き方をしている様々な卒業生が紹介されていて、過去を見つめ直したり、これからの進路を考えたりする上で、とてもためになりますね。今回、その一人として声を掛けていただきありがとうございます。

私は、大学卒業後、様々な職業を経験してきましたが、今まで私がその時々で受け取り、今も心の中に生きている言葉を紹介しながら、振り返ってみたいと思います。

「気づくことは大事だが気づき続けることはもっと大事だ」

これは、大学時代、故ブルースホートン先生からMedia Englishの授業における評価の中でいただいた言葉です。この授業は、一人一人がテーマを設定し、そのテーマを扱ったメディアや新聞の内容を週に一回グループごとに発表するというものでした。

私が扱ったテーマはHIV/AIDSに関するもので、特集記事として大きく取り上げられるときだけでなく、意外にも毎週どこかのメディアや新聞で、必ず何かしらの形で扱われていたのです。常にアンテナを張り続けることの大切さに気づいた授業でした。

その授業の中で、私が発表した新聞記事の内容とそれに関する疑問に対し、ホートン先生からいただいたこの評価の言葉は、授業そのものや、これから社会人になる上で持ち続けるべき姿勢を表現しているのだと思います。

何事もすべて鵜呑みにせず、まずは疑ってみよう、とよく言われます。しかし、何でもかんでも疑ってしまうと多かれ少なかれ信頼関係にも影響が起こり得ますし、実際に全てを疑っていたら何もできません。社会人になると、たとえ納得できなくても、やらなければならないのが仕事であったりするのです。

そんな葛藤の中で、最も気づいたことは、自分自身のことについてでした。つまり、私自身がどんな相手や出来事に対してどこまで興味があるのか、ということだったのです。ホートン先生の言葉の意味は、相手だけでなく自分に対しても「気づき続けることが大切」なのだと、社会人になって、少し解釈が変わりました。

 「反省している顔が上手になったね」

これは、私が職場でミスをして、迷惑をかけてしまった先輩に謝りにいったときに言われた言葉です。ある企業に就職し、事務職として2年目に入り仕事にも慣れてきた頃のことで、そんな言い方しなくてもいいじゃないか、とその時は本当に悔しい思いをしました。

しばらくその言葉が頭の片隅に残り悩みましたが、ふと考えた時、私が何を反省しようがどれくらい落ち込もうが、先輩には何の影響もなく、関係ないことなのだと気づきました。もちろん、後処理等で仕事を増やしてしまったかもしれませんが、こちらが気にするほどのことではなかったのです。

「悩む」ことと「考える」ことは違います。悩んでも先には進まないけれども、考えることによって何をすべきなのかという視点での解決策は見つかります。あの言葉を言われたことがきっかけで、自分が悩んでいるのか考えているのか、そんな線引きをするようになって、悩むことが減り、よりよくするにはどのようにすればよいのか?を考えるようにしたら行動的になれたのです。

「そんなのできっこないよ」

これは私が事務職を辞めて調理師になると決めた時の話です。3.11の東日本大震災をきっかけに、私は一人でも現場で動けるような専門スキルを身に付けようと決めました。実は卒業時にはすでに、途上国でも通用できる外国語を使った事務や現場の活動もこなせるプロフェッショナル像はイメージできていたものの、その時点では「現場で役立つ職とは?」という部分にピンとくるものがなかったのです。

そういった考えが頭の片隅にはあったものの、前述の3.11をきっかけに、衣・食・住の中で一人でもできるものは何かと考えた結果、「食」を選ぶ結果となりました。

「衣」では、1日あたり何をどれくらいの量を作ることができるのかというイメージができず、また、「住」では、設計・鳶職・建築のいずれも一人でこなせるイメージが湧きませんでした。それにひきかえ「食」では、知識と技術さえあれば一人でも現場でやっていけると考えたのです。

また、以前働いていた企業の業務内容は、工場と工場、工場と倉庫、倉庫とお客様といった具合に点と点を繋ぐ橋渡しのような役割が中心でしたので、調理も食材と食べる人を繋ぐ仕事という部分については考え方が似ています。そうしたことから抵抗なくすんなりとできるのでは、と考え、調理師を目指すことにしました。

お世話になった職場を辞める際、応援してくれる人もいましたが、できっこないと決めつける人がいたのも事実です。今さら調理師なんてできるわけがない、普通は高校卒業後すぐに調理師の勉強を始めるのだから、遅すぎると笑われました。

しかし私はその言葉に納得できませんでした。「できっこない」「できるわけがない」というのは、その人たちが「やってこなかったからできない」と思い込んでいるだけであり、その人自身の過去から現在までの長さの物差しで、私の過去から未来までの長さは測れないはずなのです。その時、そもそもこの人たちとは見ている景色が違ったのだと気が付きました。それと同時に、諦めずに信念を貫くことの大切さを学びました。

「ようやく退院できたね」

これは私が調理師となり、病院で調理の仕事をしていた時に、患者さんから聞いた言葉です。

病院の食事は病態によって量や味付けに制限があることをご存知の方は多いと思います。実は食器を下げる際、カロリー制限や塩分制限をしている患者さんのトレイに病院で提供していないお菓子や食べ物のゴミ袋が乗っていることがよくあるのです。

それを見て、こちらがせっかく治療のための食事を作っているのに、病気を治す気がないのかな、とその時は少なからず複雑な気持ちになったものでした。

そんなことが続いた時の帰り際、たまたま高齢のご夫婦が会計を済ませ病院から出るところに遭遇しました。その時、奥様がご主人に伝えた言葉が「ようやく退院できたね」でした。

確かに病院で医療に携わっているのは主に医師、看護師や作業療法士たちですが、1日3回の食事で体を作っているのは患者本人です。その患者さんの体作りを「調理」が手伝っていたのだと考えた時、自分の仕事に誇りを感じました。

様々な経験を通して得たものは…

私は学生時代に被災地での海外ボランティアを体験したり、ブラジルを3ヶ月かけて縦断したりしました。それらを通じて見つけた目標は「世の中、もうちょい少なくとも自分とかかわった人には笑顔でいてほしい」「生まれながらに周りの大人のせいで将来が決まりつつある子どもに選択肢を増やしたい」ざっくりとこの2点でした。

そのために、漠然と考えていた通り、まずは社会人として数年間ですが、企業勤めをし、3.11をきっかけに専門的スキルを身に付けようと調理師の資格を取り、調理経験を積んだ後、海外でも調理の仕事をしました。そして、今は日本国内の貧困の現場で生活困窮者の支援員をしています。

履歴書を追うだけでは繋がりの見えにくい私の職歴ですが、履歴書には書けないその時々で受け取ったこれらの言葉が今につながる礎になっているのです。

 

2007年度卒業
国際言語学科ポルトガル語専攻
佐藤 信希

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