神田外語大学同窓会

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自分で考える事が人生を豊かにする!

「社会人として」という言葉に振り回された?

卒業後、某警備会社に就職した私は、5日間の初任研修を受けました。これはテレビで特集される程厳しく、研修中は矢継ぎ早に「もう学生では無く社会人だ」「社会人として生きる人生を迎えた事を自覚せよ」「社会人となった以上、業務を教わる上司に対しては~」等の言葉を浴びせられ、「社会人とは」が頭の中を支配しました。しかし「社会人」となってのこの5年間を振り返ると、「社会人とは何か」を考える時間を放棄させられていたかもしれません。

留学で重要性を知った「人が”自ら考える力”」を失う事に

当然社会でのコミュニケーションでは礼儀や言葉遣いの重要性は言うまでもありません。とても大切なことです。しかしながら研修中から連呼され続けた「社会人とは」は、私から「自ら考える力」を奪ってしまっていたのです。

今考えれば、それが自分の弱さなのかもしれませんが、ただただ組織に順応しようとして「社会人はこんなものだ」と理解しようとしていた自分がいたのは事実です。

1社目は体育会系的な会社でしたが、転職した2社目の物流企業でも、部下はあくまでも社長の方針とやり方に従っていれば良い!という実に息苦しい環境でした。そこにはどう工夫し仕事をすべきかを考えさせる余地がほとんどありませんでした。

業務を理解し始め、何か工夫や意見を持とうとした時、「社会人なのに…」と非常に抽象的な反論をされ、自分の中で「社会人として」という言葉に大きな違和感と疑問が浮かんだのです。こんなことで良いのだろうか?と・・・・

ふと立ち止まって留学していたブラジルでの生活を思い出していました。国民が明確な生き方や考え、意思を持っており、自らの意見をしっかり発言する社会が確立されていました。何よりも彼らは生き生きとしていました。そのことを思い出した時に「社会人」とは何かに気が付き始めたのです。「社会人」とは、決まったルールや習慣を教え込む言葉ではないはずだと。それは、社会に生き、社会に貢献する生き様なはずだと。

情報に惑わされず、就職・転職に妥協はせず、自分の意思を明確に

この5年間「社会人」という言葉を使った情報に完全に惑わされていた日々がありました。それはブラジル留学帰国と同時に就職活動は始まります。

就活情報を見ると、スーツは黒、縦縞は悪印象、ネクタイは○色等の情報が数多くありました(今もでしょうか?)。そしてあの言葉、「新”社会人”として好印象な○○!」と銘打つ情報等もありました。

私の場合、就活スタートはまず”スーツを買う事”からでした。バイトを再開し、1ヶ月分の給料をこのような情報を基にした就活用スーツに費やしました。

この時点で、同期との間に5か月近くの遅れをとっており、自分がスーツを買う間、興味のあった企業も含め多数企業はエントリー〆切を迎えていました。

結果、卒業半年前になり同期も続々内定する中で「就職浪人はその後の”社会人”生活が危ない!」なるこれまた根拠の無い就活生向け記事にも影響され、焦る気持ちで前述の某警備会社に就職したのです。

ですが実際に聞いた人事担当者の声には、「みんな同じ格好、同じ言葉ばかりで区別も選びようもない」という、ふと漏れ出た一言がありました。世の中に流れる情報により個人の特色が消えてしまい、採用側も困っている実情も垣間見ました。

その意味で私はわざわざ苦労して、新たなスーツを買う必要性は無かったかもしれません。社会人は外見から?ではなかったはずです。

こんな時、自分はどうするか

2社目の会社を退職後、副業で始めていた写真の仕事を本格化させようと試行錯誤していた矢先、今回の新型コロナの発生です。人々が集まる外出が自粛され、東京五輪も延期となる中で、写真の仕事は一気に苦境に立たされました。

「さあ、こうなったなら俺は今からどうしようか。」

経験から学んだ事を活かし、今後について再び考え直し今は次の行動に舵を切っています。自分の納得するまで考え、必要な情報を自分で確認し、自分で決断しています。少なくとも前を向いて「自分らしさ」を失わずにです(^^)

「社会人として生きる」ではなく、「社会に生きる”人として”」どう生きるか

「社会人として」と言う言葉を私は「社会に生きる人として」と置き換えて行動し始めています。私はそのことに事によって、既成概念に囚われ、自分らしさを失わずに前を向けるようになりました。アフターコロナ、Withコロナが叫ばれる中、明らかに世の中は大きく変化するのですから、過去の常識では通用しないことが多々発生し、そこには様々なチャンスも訪れるに違いないのです。

思考を止め上司に従い生きる時代は終わるのではないでしょうか?会社や上司に、或いは社会に人生の舵を握らせるのではなく、自らの人生について周囲を巻き込みながらも自らが切り拓くことが大切なんだと思います。その方が成長するに違いないからです。そして成長するにに大切なことが「学び続ける力」だと思います。

私の卒業時、KUISの酒井学長が卒業式で仰った言葉を引用するならば、「学びは、坂を上る自転車である。ペダルを漕ぐのを止めたら、坂から転げ落ちるのと同じく、簡単に忘れてしまう。ペダルを漕ぎ続けろ。」が今身に沁みています。

それは厳しいKUISのカリキュラムを終えた卒業生に贈る言葉でした。

大学での学びは修了していますが、社会には学べる事、知るべき事は溢れており、その殆どは学校で教わる事はありません。自分からそれらを学び続けないと、これからの時代を生き抜く事は出来ないと考えます。

自分が、社会に生きる”人として”どう生きるのか。

社会に出ても”学ぶ”気持ちを。これからも、私たちは日々学び、自分の意思を持ち続けるべきだと思います。
それがKUIS卒業生ではないでしょうか。

国際言語文化学科ブラジル・ポルトガル語専攻

2015年卒 神前 祐太

【フォトギャラリー】※お写真はすべて神前さんよりご提供いただいた作品並びに思い出のお写真です。

          
Model: 2015年英米語学科卒(現・役者)

 

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