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故佐野隆治会長を偲ぶメッセージ

ロバート・デシルバ 先生(1987年から現職)

プロフィール

神田外語大学国際コミュニケーション学科国際コミュニケーション専攻 教授、学科主任。

アメリカ・ニューヨーク生まれ。ジョージタウン大学で日本語を専攻。卒業後、外国語授業の補助を行う外国語指導助手(ALT)として来日。神奈川県の教育委員会と高校で4年間指導する。

帰国後、ミシガン大学大学院で言語学を学ぶ。修了後、再来日。神田外語大学で教鞭を執る。

佐野隆治会長の想い出

初めて佐野会長にお会いしたのは32年ほど前だった。神田外語大学の創設2年前のことだった。その頃、大学の最初の教員を決定する時期で、私はある日本人の大学教授によって神田に紹介され、就職面接のために佐野会長のオフィスに向かった。まだ大学院生で、人生の1回目の就職面接で随分緊張した。細かい内容を覚えていないが、佐野会長の鋭い質問に一所懸命日本語で答えようと努力した。幸い面接の結果採用され、その後30年間神田外語大学に勤めるようになった。

佐野会長を思い出すと二つの英語の言葉が浮かんでくる。その一つ目はTrust。会長は私たち教職員を非常に信頼していて、チャンスを与えてくださった。一つの例としてはSALCの始まりだった。あるイギリス人のELIの先生がSALC教室を作りたいと提案した。KUIS に来てからまだ2、3年の若い先生だったにもかかわらず、今までとは全く違う教育スペース計画の提案に会長は賛同してくださった。まもなく4号館の二つの教室を合体して、部屋と部屋の間にドアを築く建設が始まった。それがKUISでの最初のSALCだ。

もう一つの会長のTrustの例は私自身の例だ。2010年に国際コミュニケーション学科主任として会長から委ねられた。会長が外国人の私にIC学科のような大きな学科の責任を持たせるという、会長からの厚い信頼を頂いた。

会長のもう一つの特徴はVisionだった。私は大学オープン直前幕張キャンパスを見に来たとき、まだ1号館と2号館しかなかった。最寄り駅からだいぶ離れ、当時東京湾近接の荒地にどんな大学ができるのかなと思った。しかし会長のVisionによって、最初の何年かの間に新しい校舎が増え、隣地も購入され、スタイリシュな学食も含む4号館、拡大SALCとコンピュターセンターの6号館もでき、宇宙から降りて来たかのような近代建築の図書館も建設された。同時に福島のブリティッシュ・ヒルズもイギリスの山よりも高いところに堂々と開設された。会長のVisionのお陰で神田外語大学はこの30年の間いつも新鮮、いつもアイデア豊かな環境だ。

深い感謝を込めて、佐野会長のTrustとVision に応え、有意義な仕事を続けたいと思う。



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