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神田外語の卒業生インタビュー

川﨑 敏秀さん(外務省 大臣官房現地職員管理官)神田外語学院卒業

川﨑 敏秀さん/神田外語学院 1981年3月 卒業

神田外語学院での思い出

当時、大学の医学部をめざして浪人をしていた私は受験勉強が停滞している状態をリセットさせたいという思いから、まずは英語とドイツ語を身につけようと学べるところを探していたところ、神田外語学院を見つけました。

神田外語学院での学生生活は意外にもとても充実したものでした。
当時、海外に行くことは今の様に簡単ではない時代だったため、私たちにとって非常に遠い存在でしたが、それを近づけてくれたのが、神田外語学院でした。

世界の縮図のようにさまざまな国から集まった多彩な外国人の先生方から毎日語学と文化を教わり、まさに外国で勉強をしている気分でした。また、学生生活の中では自治会を作り学生の意見を吸い上げたり、コンパニオンクラブ(「行動を共にする」という意味の”Companion”)で部長を務め、普段の学びを実践するために上野や浅草へ出向き通訳ボランティアをしたりと、自主的に課外活動をしていました。特に当時学院長だった佐野きく枝先生が学生の自立を促し、自由に活動をさせてくれたことや当時お世話になった水野五行先生がさまざまな場面で背中を押してくれたことには本当に感謝しています。

神田外語学院には、自立を促し、社会に飛び立てるようにしっかりと支え、背中を押してくれる、そのような学生を育てる環境が当時からありました。

外務省を目指すようになったきっかけ

「英国紳士はこうあるべし」と水野先生が教えてくれたことを今でも覚えています。そんな紳士であり、ユーモアも持ち合わせた先生の影響もあり、私たち学生は自然に外国に対する興味を深めていきました。

そしていつの間にか学生たちのグループで外務省専門職を目指す勉強会というものを作り上げていたのです。その勉強をしている時にちょうど、「外務省在外公館派遣員制度」を知り、チャレンジしてみたところ合格することができました。海外に一度も行ったことのない私が在外公館派遣員として赴任したのがヨルダン・ハシミテ王国でした。

初めての外国、ヨルダン

1980年9月、ヨルダンに降り立った時見た、あの光景は今もなお、目に焼きついています

初めての海外、初めての仕事ということで、不安と緊張がピークに達していた状態で、砂漠の中の一軒家の玄関先に灯っていたオイルランプの優しい明りに安堵したのを今でも鮮明に思い出します。人生の中で一番印象的な出来事だったと言っても過言ではありません。

赴任したのはイラン・イラク戦争が起きた直後で、国境を接するイラクから逃れてくる邦人保護や物品の調達など多くの業務があり混乱している時代でした。なお、時を経て外務省に入ってからもう一度在ヨルダン日本国大使館勤務になった際には、湾岸戦争が起こり、奇しくも再度イラクで拘束されていたクウェート在留邦人の帰国の支援に携わるなど厳しくも貴重な経験をしました。

現在に至るまでの経歴

さて、話を元に戻しますと在ヨルダン日本国大使館での3年間の派遣員業務を終えた後、引き続き派遣員として働く機会をいただき、1983年から3年間在ロサンゼルス日本国大使館に勤務しました。

その後1986年に外務省へ入省し、在外公館では、ヨルダン、フィリピン、インドネシア、また東ティモールでは次席も務めました。

日本ではアフリカ第一課、報道課、第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)プレス室の首席事務官、領事局海外邦人安全課及び大臣官房報道課首席事務官、そして最近では国際協力局緊急・人道支援課の国際緊急援助官を経て、現在は大臣官房在外公館課現地職員管理官として在外公館で働く現地職員約5,400人の労務管理を統括しています。

印象に残っていること

一番印象に残っているのは、先ほどお話しした、最初にヨルダンに赴任した時のことですが、その他にも在インドネシア日本国大使館での任務の際には拉致被害者である曽我ひとみさんと夫のジェンキンスさんとの再会に立ち会わせていただきましたし、報道課に在籍していた時には、首相や大臣の外遊に随行し、世界の多くの国をまわりました。

2000年に行われた第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)では国内のメディアのみならず世界各国から集まった多くの報道関係者の取材活動を支え、サミットに加え日本そして沖縄を世界に発信しました。

また2017年に起こったメキシコ地震では、国際緊急援助隊・救助チームの団長として現地へ赴き、チームをまとめ被災者の捜索・救助活動をしました。このように国の大きな出来事に多数携わり、何にも代えがたい経験を得ました。

この仕事をしていて大事だと思うこと

人と人とのつながりですね。神田外語の建学の理念である、「言葉は世界をつなぐ平和の礎」は私の外務省人生の中でずっと大切にしてきたモットーです。

現地の言葉でコミュニケーションをとり、相手を理解し、自分を理解・信頼してもらう、全てはこれから始まると思っています。そうして積み上げた信頼と友情をもって世界の平和、そして日本や家族の幸せのために努力してきました。

社会は人と人とのつながりでできていますから、人を大事にすることがとても大切です。その大切さをより強く感じたのは、2017年メキシコ地震の際に国際緊急援助隊・救助チームの団長として、現地に赴いた時の経験です。私たちの使命はただ単に人を助けるのではなく、被災者の方々の気持ちに寄り添い、少しでも悲しみや苦しみを和らげてあげることだと隊員に伝えながら捜索・救助活動に当たりました。任務終了後、感謝の気持ちをスペイン語で伝えた動画を載せたところ、それを見た方も含め多くのメキシコの方が帰国の際、空港でそして飛行機の中で「ありがとう!」と日本語で感謝してもらえたことで改めて人とのつながりの大切さを強く実感しました。

英語を学び、海外を目指す学生にメッセージ

夢を持ってほしいですね。夢を持てと言ってもすぐには難しいかもしれません。そういう時はまず行動を起こしてみて、そこから見つけてみましょう。

私は神田外語学院で学ぶ中で学生自治活動、通訳ボランティアの経験、外務省専門職を目指す勉強会などさまざまな活動に関わる中で在外公館派遣員制度に出会い、ヨルダン、そして外務省に入ってからも世界中を飛び回りながら、世界と日本のために働いています。みなさんもそうやって行動をしてみることで自分が知らない未知のもの、新しい自分を発見するきっかけになるはずです。それは自分を大きく成長させる、大きな一歩です。

ぜひ「言葉は世界をつなぐ平和の礎」を忘れずに世界を、そして日本を見て、感じて、生きることを楽しんでいってほしいです。



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