異文研キャンパス・レクチャー・シリーズ

第78回
異文研キャンパス・レクチャー・シリーズ

「異文化コミュニケーションにおける英語、
そして通訳の役割」

講師
鳥飼玖美子(神田外語大学客員教授)
司会
柴原 智幸 (本学英米語学科 講師)
日時
7月21日(木) 17:00~18:45 (開場:16:30~)
場所
神田外語大学(千葉・幕張)
7号館2階クリスタルホール
講師からのメッセージ

グローバリゼーションは世界を普遍化し、言語も共通になると考えられている。確かに英語は事実上の国際語として機能している。ところが、グローバル化により可能となった人間の国境を超えての移動は、世界の多文化/多言語化を促進し、各国で多様な言語の通訳翻訳者が欠かせない存在となっている。この相反する状況こそが世界の現実であり、私たちは国際共通語として英語を扱うと同時に、多言語状況が求める通訳翻訳の重要性にも目を向けなければならない。  講演では、この矛盾した現実にどう対応するかを考えてみたい。

講師紹介

立教大学特任教授(大学院異文化コミュニケーション研究科)。神田外語大学客員教授。NHK「ニュースで英会話」監修/テレビ講師。上智大卒、コロンビア大学大学院修士課程修了、サウサンプトン大学大学院博士課程修了 (Ph.D.)。専門は、英語教育学、言語コミュニケーション論、通訳翻訳学。主著に、『国際共通語としての英語』(講談社)、『「英語公用語」は何が問題か』(角川)、『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房)、『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫)など。

講演会報告
(柴原智幸、本学英米語学科 通訳・翻訳課程)

7月21日 本学客員教授である鳥飼玖美子先生の講演は大変な盛況で、会場となったクリスタルホールは満員で、立ち見の方も出るほどでした。
鳥飼先生には、15時より通訳翻訳課程の作業部会にもご参加いただき、カリキュラムの組み立てなどに関して貴重なご意見を頂きました。
講演会の開始は17時。通翻課程有志が同時通訳を行います。その準備のために30分ほど前から会場入りしたのですが、どうも配線がうまく行かず、2つあるブースのうち1つしか会場の音声が拾えません。
時間が来たので、最初に配線をしてくださったスタジオの方に応援をお願いして、柴原は司会を務めました。おかげさまで、ブースの配線もうまく行き、講演開始から15分ほどで同通が出来るようになったそうです。
さて、鳥飼先生のご講演ですが、大きく分けて「グローバル化の時代における英語の立ち位置」「グローバル化の時代における通訳者・翻訳者の意義」という2つのテーマでお話されていらっしゃったと思います。途中で様々な事例などにも触れていただき、分かりやすく内容の濃い講演でした。

「昨今『グローバル化により、英語が国際共通語になった。日本人も国際社会で生き残るために、英語を学ばなければならない』と言われる。
しかし、国際共通語としての英語を使って話す場合、話す相手は日本人が英語の話し手として想定する、いわゆる『ネイティブ』ではない場合が多い。
であるならば、『国際共通語として身に付ける英語』そのものを、見直すべきなのではないか?」

というお話が前半に出てきました。アメリカ人やイギリス人の話す英語を「正解」と考えるような姿勢は変えないといけなくなるのでしょう。鳥飼先生はスーダンの英語を例に「いわゆる『ネイティブスピーカー』の規範から見れば不自然に思えても、それが現状というもの」とお話されていました。
アメリカ英語とイギリス英語しか英語として認めないというのは、日本語で例えば、方言を話す人に対して「あなたの日本語は間違っている。日本語のネイティブスピーカーとは言えない」というようなものです。
鳥飼先生のお話が終わった後、質疑応答の時間もたっぷりと取っていただきましたが、会場からの質問が相次ぎ、申し訳なく思いつつも途中でまとめとなりました。

講演会がいったん終了した後も、来場した方々が鳥飼先生を取り囲んでいました。一段落した後に通翻課程の面々も鳥飼先生にご挨拶。質問にも丁寧に答えていただいたとのことで、みんな感激していました。
講演の司会を務めながらメモを取ったので、それをもとに講演の内容を詳しくお伝えします。時計をにらみつつ、しかも通翻の同通部隊の様子を見つつのメモ取りだったので、ミスがあるかもしれません。ご了承ください。また(S)は、柴原の私見を意味します。

・2003年文部省「英語が使える日本人」行動計画(5か年計画)
→日本で初めてと言っていいぐらい包括的な英語政策。
→Sel-Hiを設け、ALTを増やすなど。また、教員を対象に「悉皆研修」(全員の海外研修)を企画。
・20年ぐらい前から、コミュニケーション重視の英語教育。(スピーキング、リスニング重視)
→実効あがらず、産業界からハッパをかけられる。
→最後の切り札が、「早く始める」こと。
→しかし、小学校で英語を「教科」としては導入に踏み切れず。英語「活動」としてスタート。教える先生は専門家ではなく、教科書もないから「活動」。
・「グローバル化」で「世界の共通語は英語」という認識になり、「生き残るために英語を」という動きに。
→高校での英語の授業にall Englishが導入される。
(S 「生き残る」とは、どういう意味でしょう。ビジネス上のシェア争いに生き残ることが、すべてなのでしょうか?経済活動上の生き残りが、様々な教育の目標となっているのであれば、違和感を感じます)
・「国際共通語としての英語」なのであれば、話す相手はNativeではなく、Non-Nativeの可能性が高い。
→「身に付けるべき英語」を見直す時期なのでは?
→そもそも、文科省の指導要領には「外国語教育」とあって、「英語教育」とは書いていない。これは、外国語を通して、外国の生活や文化を学ぶのが目的であるため。
→「国際共通語としての英語」として、最低限の英語を身に付けるのであれば、別にアメリカの文化や生活を学ぶことは関係ないのではないか?
・「国際共通語としての」英語というが、何が「国際共通語」なのか?
・World Englishesという概念があり、様々な国の人々が話す英語も「英語」として認めようという動きある。
→しかしそれが行きすぎると、その英語は「共通語」として機能しない。そういう英語では学んでも意味がない。
・発音に関して、よく言われるRとLの発音を苦手としていることは、コミュニケーション上の致命傷にはならない。
→それよりも子音の連結に注意。
→リズムも大切。日本語は平坦だが、英語は強弱のリズムがある。
・習得にかけられる時間に制約がある以上、「国際語としての英語」は、今までとは違ったとらえ方をするべき。

*通訳翻訳について

・国際共通語としての英語、Globishなら、ボキャブラリーは1500語でOKと言われる。
→しかし通訳・翻訳のプロには妥協は許されない。そんな少ない語彙では務まらない。
・通訳者や翻訳者はいらなくなるのか?
→現状、通訳・翻訳の需要は減るどころか増える一方。
(S 放送通訳に限って言えば、現場に立つ者として、需要は減りつつあるように感じます。また、一般の通訳業務に関しても、いわゆるボランティア通訳がプロ通訳者の市場を蚕食している状況です。通訳者を養成する通訳学校も、規模を縮小するところが相次いでおり、全体としてマーケットは縮小しているのではないでしょうか)
→異文化コミュニケーションの能力を持つ存在としても需要がある。
(S これに関しても、そこまで求められる場が少なくなっているような印象があります)
→各国の英語がかなり違うので、やはりプロが必要。
・スーダンの英語は、一般的な英文法のルールに照らせば、文法的ミスがある。
→しかし英語はスーダンの公用語。であるならば、「このように英語を使っている」と認めるしかないのではないか。
→Worl Englishesは、それぞれの地域の人々が、英語の使用者として、英語を使いたいように使っていることを受け入れる考え。
→いわゆる「ネイティブ」の規範から見たら不自然に思えても、これが英語使用の現状というもの。
・グローバル化とは、ボーダレス化。
→かつてないほど、日常の場で通訳・翻訳が求められる。
→コミュニティー通訳の役割が重要に。
・EU(27か国)の方針は「Unity(Unified) in diversity(多様性の中の統一)」。言語と文化は多様性を保つ。
→1958年に、加盟国の公用語を「すべて」EUの公用語とすると定めた。
→現在23言語。
・年間1万1千回の会議があり、通訳者は常駐700人+フリーランス。翻訳者は1200人で年間130万ページを訳す。
→翻訳を正しくできるような原文の書き方まで、翻訳者側が発表している。
(S ただ、EUの事例はかなり特殊であって、これをもって通訳・翻訳の需要が揺らいでいないとは考えられないと思います)
・2004年の時点で、通訳コストに年間1億ユーロ。翻訳コストに1.9億ユーロ。
→これはEUの全予算の0.8%。加盟国の市民一人当たり、年間2ユーロを負担していることになる。
→もちろん「コストがかかり過ぎだ」という反対の声もある。
→しかしEUの理念の根底にあるのは「母語で話すには、その人の権利である」という考え方。
(S もちろん統一するための政治的リップサービスという側面もあるとは思いますが、中嶋先生はこの考えをどう思うかお聞きしたいです)
・交渉ごとは母語でやった方が勝ち。
→だから通訳・翻訳者が大切。
・EU加盟国は、1か国1言語をEUに「母語」として申請できる。
・複言語主義
→それぞれの国の弱い言語(少数派言語)を学ぶように呼びかけ。

*日本における法廷通訳者について

・50以上の言語において通訳者が必要。
→人数が足りず、研修も試験もない。
・日本の法廷は、今までは法律のプロだけが参加する場だった。
→「裁判員制度」で、アマチュアが入るようになった。
→通訳によって、裁判員の心象が大きく変わる。
→通訳人の力量が、判決に大きな影響。
・2009年11月の「べリンス事件」では、「発言の65%が誤訳された」として被告が控訴。
→「通訳の質による裁判のやり直しはしない」というのが日本の裁判所のスタンス。このため控訴は却下される。
・「結果として覚せい剤を日本に持ち込んだことについて、どう思うか」と問われた被告人の答えが、I felt very bad.だった。
→通訳人(法廷通訳として宣誓した通訳者が、「通訳人」)は「非常に深く反省しています」と通訳。
→通訳に正解はないから、これも絶対に誤訳だとは言えない。
→通訳人に同情的に判断するならば、「日本の裁判では反省していることを示すことが重要で、刑期などにも影響する。入れておいた方が被告人の弁護になると思った」のでそう訳したと考えられなくもない。
→しかし「解釈はしない。言われた言葉を『正確に』訳す」のが法廷通訳。
(S 「ああ、やられた!」とか「マジかよ!」とか、そんな意味合いだったのでしょうか)
・通訳や翻訳は、異文化コミュニケーションに立ち向かうこと。
→多文化共生が大切。それを可能にするのは「通訳・翻訳」
・単文化思考は脆弱。とは言っても、多くの言葉や文化を学ぶのは不可能。
→そこで通訳者、翻訳者の出番。
→通訳・翻訳を学ぶだけでも効果がある。
・バブルが始まるまでは、能力重視。英語が出来る社員は、社内で鍛える!という方針だった。
→それには時間とお金がかかる。
→バブル以降、教育資金などがなくなる。
→大学をはじめ、学校に圧力がかかるようになった。
・人間の価値を、TOEICで測っていいのか?

以上、国際共通語としての英語が、一般に考えられている方向性とはかなり違ったものになりえること。行き過ぎたNative至上主義に対してバランスを取ること。通訳翻訳の今後。コミュニティー通訳、とりわけ法廷通訳の難しさなど、様々な示唆に富んだお話でした。

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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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