神田外語の未来 挑戦心のある入学生と出会うために

グローバル・リベラルアーツ学部誕生前夜史2 金口恭久 神田外語大学副学長『学部設立の現場から』

令和3(2021)年4月、神田外語大学は新たに「グローバル・リベラルアーツ学部(以下、GLA学部)」を開設しました。平和な社会の構築へ貢献できる人材の教育を理念に掲げ、学生が自身の目標に向かって学び続けられるカリキュラムを構築したGLA学部。同学部の学部長であるロバート・デシルバ副学長に、1期生を迎えていよいよ始まったGLA学部が目指す教育についてお伺いしました。(文中敬称略)


■関心こそが大学で学ぶ動機になる

「GLA学部の開設は僕にとって3度目のオープニング。新たに誕生する大学や学部で学ぼうとする学生たちは“risk takers”(リスクを恐れない人々)です。普通の学生とはちょっと違うだろうから、今からワクワクしています」

GLA学部開設直前の令和3(2021)年3月半ば、インタビューに応じたデシルバはうれしそうにそう語った。

アメリカ・ニューヨークシティ出身のデシルバは、ワシントンD.C.にあるジョージタウン大学で日本語を専攻。昭和51(1976)年5月に学部を卒業した後、日本に4年間滞在して高校を中心に英語の講師を務めた。「日本で英語を教えることを仕事にする」と決意し、アメリカとフィンランドの大学院で言語学の研究に励んだ。

そして、昭和62(1987)年4月の開学時から神田外語大学外国語学部の教員として教壇に立ち、現在に至るまで同大学の外国語教育の進化の一翼を担ってきた。平成13(2001)年に設置された国際コミュニケーション学科に英米語学科から移籍し、平成22(2010)年に学科長に就任。そして、“Global Liberal Arts for Peace”を教育コンセプトに掲げたGLA学部では学部長として教育現場のリーダーを務めることとなったのである。

「GLA学部では全ての選抜試験に面接を設けましたが、受験生はみな卒業後のビジョンを明確に持っているように思いました。日本語プレゼンテーションの試験ではSDGs(持続可能な開発目標)をテーマにしましたが、みんな自分の考えをクリアに述べていました。試験だからということでなく、実際にSDGsに関心があり、世界の課題解決にも貢献したいと考えているのでしょう。学びの原点は物事への関心ですから、とても期待できますね」

デシルバも、大学で高度な専門知識を学ぶうえで、関心の深さが重要であることを自身の経験で痛感している。

昭和29(1954)年生まれのデシルバは、小学生だった昭和39(1964)年から翌年にかけて開かれた「ニューヨーク万国博覧会(New York World's Fair 1964/1965)」を何度も訪れた。幼心に心を引かれたのが日本パビリオン。茶の湯から小さな乗用車まで文化のミクスチャーで、面白い国だと感じた。デシルバにとってそれが初めての異国への興味だった。高校ではフランス語とスペイン語の科目を履修。一般的に外国語を苦手とするアメリカ人としては異例だった。高校卒業後は外国語を専攻しようと考え、ジョージタウン大学へ進学。入学時の専攻は日本語ではなく、中国語を選んだ。

「大学進学は1972年。前年にニクソン大統領が中国との和解交渉を公表し、その後、実際に訪問し、毛沢東主席と会見するという歴史的な出来事がありました。中国について何も知らなかったけれど、将来性があると考え、中国語を専攻したのです。でも、漢字を覚えるのがとてもつらかった。週に50文字です。当時学んだのは画数の多い繁体字だったからなおさらです。1年生を終えて、もう無理だと思って、専攻を日本語に変えました。ひらがな、カタカナはすぐ覚えました。日本語は、外来語も多く、現在形や過去形などの時制も僕には理解しやすかったので、すぐに追い付きました。なにしろ、幼い頃から日本に興味があったから。大学で専門を選ぶうえで興味があることは大切です」


■準備を整えて、異文化を深く体験する

GLA学部では、1年次前期に短期の海外留学「海外スタディ・ツアー」をカリキュラムに組み込んでいる。リトアニア、インド、マレーシア・ボルネオ、エルサレムといった国や地域で学び、直面する課題を現地で実感し、その後の学びへとつなげていくGLA学部の特徴的なプログラムである。

留学先の現地でしか感じられないこと、そして、日本の常識では想像できない事実との出合いは、学生にとって貴重な体験となるとデシルバは確信している。

「どの留学先でも、近代的な街と貧しい地域が隣り合わせで存在しています。その光景を自分の目で見る。空気を肌で感じる。暑さや寒さ、匂い、そして食べ物の味。観光旅行では美味しいものを食べるけれど、スタディ・ツアーでは貧しいものを食べるかもしれません。若い人はたくさんのことを感じるはず。この留学でしかできないことを体験させたいですね」

デシルバはGLA学部の教育内容を立案していた令和元(2019)年に、いくつかの留学候補地を訪れたが、自身も感じることがたくさんあったという。

「例えば、エルサレム。僕は伝統的なカトリックの家庭で育ったからエルサレムは聖地です。でも、キリスト教だけでなく、イスラム教、ユダヤ教の聖地でもある。3つの宗教の聖地が同じ地にあり、そこを目指して世界中から人々が集まってくる。その光景に身を置くと、『宗教とは何か』『なぜ、人間は宗教を必要とするのか』、そして『人間はなぜ争うのか』といった根源的なことを考えざるを得ませんでした」

そして、深く感じるチャンスがある海外スタディ・ツアーだからこそ、事前の学びが重要だとデシルバは強調する。

「その国や地域の歴史や文化をきちんと学ぶことが重要です。良いことばかりでなく、悲惨な歴史も含めて知識として理解する。さらに、その知識を英語で学ぶ。背景にあるものを理解し、自分が知っていること、感じたことを英語で話せれば、現地の人々にアプローチして、内容の深い会話を直接することができます」

GLA学部の教育目的はグローバル・リベラルアーツを学び、平和の実現に貢献できる人材を育成することである。そのためには、地域研究をするだけでも、英語を話せるようになるだけでも不十分である。テーマとなる国や地域の歴史や文化を学び、その内容について現地の人々と意見を交換する。時に学生は知識の浅さや言いたいことを英語で表現できないもどかしさを感じるだろう。しかし、その経験こそがそこから続く学びの原動力にもなるのである。

デシルバが初めて訪れた外国は日本だった。昭和50(1975)年、大学4年生になる前の長期休暇に東京の日本語学校に短期留学した。21歳のデシルバはこの滞在で日本人の日常生活に入り込んでいく。

「渋谷の日本語学校に通いましたが、週末や休暇になると、ジョージタウン大学で出会った日本人留学生の友人の実家を訪れました。姫路の友人の実家では和服を着たおばあちゃんがいて、僕に和食と洋食の両方で朝食を作ってくれました。若いから両方食べちゃいましたけどね。手縫いで浴衣も作ってくれました。今でも大切にしています。そして、東京はニューヨークで育った僕にとって親しみのある街。パチンコ屋さんで手打ちのパチンコで遊んだり、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだり。当時は、まだ日本という国がアメリカのテレビや映画で取り上げられることはなかったから、一つひとつ日本の習慣を知り、体験して学ぶ機会でした」

こういった充実した日本体験ができたのも、デシルバ自身が日本への関心を原動力に、アメリカの大学で日本の言葉と文化を学び、日本でより深い交流をする準備ができていたからだろう。


■観察から生まれる疑問が学びの動機となる

海外スタディ・ツアーで、デシルバが学生たちにもうひとつ大切にしてほしいことは「観察」である。

「その国や地域で、博物館や美術館を訪れて観察をしていると、『なぜ、この歴史があるのか?』『なぜ、今このようなことが起きているのか?』と自然と疑問が生まれます。その疑問と好奇心が学びのモチベーションとなる。だからこそ、1年次の早い時期に海外スタディ・ツアーを設定しているのです。初年度はオンラインでの実施ですが、それでも観察し、感じられることはたくさんあるはずです」

そして、「つながり」も重要であるとデシルバは強調する。

「例えば、リトアニアにはユダヤ人とホロコーストの歴史があります。多くのユダヤ人を救ったのは日本人の杉原千畝です。リトアニアという国から、ユダヤの歴史全体へと広がり、日本とのつながりも見えてくる。インドでNGOを訪れれば、貧困に苦しむ人々などさまざまな問題に出合いますが、それは決してインドだけの問題ではありません。観察をして、つながりを感じるのがスターティングポイント。そこから広く考え、理解していく力を身につけるのがGLA学部の学びです」

異文化の事象に出合い、体験や観察からつながりを導く経験はデシルバ自身にも数多くある。ジョージタウン大学を卒業したのち、4年間にわたり日本の高校で英語を教えた後、アメリカに戻りミシガン大学の大学院で応用言語学を専攻。昭和59(1984)年からの1年間は、北欧・フィンランドのユバスキュラ大学へ留学した。日本語と同じようにインド・ヨーロッパ語族ではないフィンランド語への英語の影響を研究した。目の当たりにしたのは、西ヨーロッパ圏とは名ばかりのソ連の影響下にある国民生活だった。

「フィンランドはもともとロシア帝国の植民地でした。ロシア革命の時に独立したものの、第2次世界大戦でソ連と戦い、休戦に持ち込み、独立を維持しました。しかし、戦後もソ連の支配が色濃く残り、僕が留学した1984年当時、テレビは国営放送の1チャンネルだけで、トップニュースは毎日、ソ連の話題です。フィンランド人は決してソ連が好きではないけれど、ソ連の批判はできません。現地に行き、人々の暮らしを観察することで、知識として学んでいた歴史とつながり、その複雑な状況が理解できたのです」


■リベラルアーツで専門的な領域を見極める

海外スタディ・ツアーでの観察によって感じた疑問や好奇心、つながりをさらに深めていくのが帰国後に始まるグローバル・リベラルアーツの学びである。デシルバは、リベラルアーツを学ぶ意義は物事を広く捉え、考える力を習得することにあると説明する。

「例えば、インドの貧困の問題は、経済だけでなく、文化や宗教、歴史が関わってくるし、食事や環境も影響しています。問題の本質に迫るためには、物事を広く捉えて、複雑に絡み合う背景をほぐしていく必要があります。幅広い科目を学ぶことを通じて、自分の学びたい領域が見つかってくる。それが宗教であれば、宗教を中心に専門科目を履修して、自分の専門領域とすればいい。そのテーマを3年次後期のニューヨーク州立大学への留学、そして卒業論文である『キャップストーン・プロジェクト』へとつなげていくのです」

リベラルアーツは経済学や言語学など特定の学問領域を示すものではないので、専門性が曖昧に思ってしまいがちだ。だが、最初から専門領域を定めてしまう一般的な高等教育とは異なり、幅広い学問領域を横断的に学んだうえで、自分の関心がある領域を発見し、追究していくアプローチなのだ。学生の問題意識、そして海外スタディ・ツアーで抱いた好奇心や違和感を解明するにはどの学問領域が適しているかをじっくりと見定められるのである。

「1年次の後期にはまず、『グローバル・ヒストリー』を学びます。世界のことが分からないといろいろなことが研究できませんからね。地域ごとの歴史ではなく、世界のつながりや日本との関係を学ぶので『世界史』ではなく、『グローバル・ヒストリー』。史実を丸暗記するのではなく、テーマごとに流れやつながりをつかめる力を身につけるのです。そして、Humanities(人間と文化)、Societies(社会と共生)、Global Studies(グローバル・スタディーズ)という3つの領域へと学びを広げていくのです」

入学後に海外スタディ・ツアーで自分の常識を覆す世界の現実を目の当たりにした学生たちは、何をすべきかを自らに問い掛けながら、学問の世界へと飛び込んでいく。その先にあるのは3年次後期に設定されたニューヨーク州立大学への半年間の留学である。待ち受けるのは日本の大学では体験できない圧倒的な多様性の世界である。(第2話へ続く)


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写真撮影:塩澤秀樹
取材・文:山口剛

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