ひとつひとつの出会いと経験、一本につながる
2004年に英米語学科を卒業し、現在は絵本作家・イラストレーターをしております、hossy nakkie(ホッシーナッキー)と申します。好きなことをお仕事にさせていただいている今、これまでのことを思い返してみると、「今のわたしがいるのは、これまでの一つ一つの出会いと経験のおかげ。
どれもが一本につながって、今のわたしを形作っている」と、実感するばかりです。 このブログでは、自分探しを続けてきたこれまでの歩みと、これからの展望をご紹介したいと思います。
初商業出版絵本の記念原画展にて(ART HOUSE:大阪)
自分の居場所だった絵を描くことと、世界を広げた英語と
物心ついた頃から絵を描くことが好きでした。私の描いた絵を見て、家族が喜んでくれたことが大きかったように思います。自分から友達の輪に入っていくのが苦手だった私にとって、絵を描くことは、自分の居場所と人との接点を作ってくれる、大切な術でもありました。しかしながら、将来自分がどんなことをしたいか分からず、学生時代は、その答えをずっと探し求めているようなところがありました。
中高生の頃、英語が好きで、他の教科そっちのけで英語の勉強ばかりに力を入れていました。高校2年生の時、自宅のポストに投函されていた「海外語学研修」のチラシを見つけた途端、「行きたい!!」と、一気に気持ちが高ぶりました。初めての海外は、見るものすべてが新しく、新鮮な驚きに満ちていました。
言葉に関しては「イエス」「ノー」「オッケー」しか話せず、電子辞書を片手に身振り手振りしつつ、絵を描いて伝えるという方法で3週間を過ごしました。言葉が通じない悔しさともどかしさを感じる一方で、絵を通じて意思が伝わった喜びも味わいました。帰国後、「もっともっと、英語を話せるようになりたい!!」という気持ちが大きく膨らみました。
大学進学を考える際、絵を描くことも英語を学ぶことも同じくらい好きだった私は、美大に行くか外語大に行くかで迷っていました。色々考えた結果、「絵はきっとこれからも自分で描くだろうから、英語の大学へ進もう。そして、いつか海外で絵の仕事をしよう」――そんな想いを胸に、少人数制で英語に触れる機会が豊富だと思われた神田外語大学を志願しました。
画像:KUIS時代。オーストラリアのホストシスター(10歳)と
食べる時間も惜しむほど、仕事にのめり込む
「いつか海外で絵の仕事を」と思って入学したものの、将来なりたいものについてはまだはっきりせず、興味のある職業は次から次へと移り変わりました。
いよいよ就職活動が始まる大学4年生になった頃、コミュニケーションの一環として、パソコンのソフト「Illustrator」や「Photoshop」の授業が新しく導入されました。当時の就職活動では「手に職を!」と盛んに言われていたこともあり、私も何かスキルを身につけたいという思いから、この2つの授業を履修しました。
ゼロから無限に生み出し、変化させることができるソフトに、すぐに夢中になりました。「グラフィックデザイナー」という仕事があることも、この時初めて知ったのでした。
「帰るのが遅くなったり、終電を過ぎて泊まることになったりもするけど、大丈夫?」
デザイン会社の最終面接で聞かれたことでした。当時の私は、まだまだ若くてやる気に満ち溢れていましたし、何より「なりたい職業がすぐ目の前にある!」という興奮から、迷うことなく「大丈夫です!!」と前のめりに答えていました。
実際に、仕事は終電近く、もしくは終電すぎまでになることも多く、何日も会社に泊まることもありました。終電がなくなっても帰宅できるように、自転車通勤にシフトしました。
一生懸命仕事をしている自分に酔いしれたり、上司の厳しささえも「ドラマのワンシーンみたい」と密かに楽しんでみたり…。とにかく毎日が新鮮で、充実していて、食べる時間も惜しいほどに仕事にのめり込んでいました。

身体のSOSを乗り越えて。親となり、息子へ贈った言葉のシャワー
「仕事命!!」とばかりに働き続けて3年ほどが経った頃、身体にすこしずつ無理が出てきました。寝る間も食べる時間も惜しんで時間に追われた生活をしていたので、当然の結果と言えます。しかし、当時の私はあまり深刻に捉えておらず、周囲にもそのことを告げないまま、結婚が決まり、関西の地へ嫁ぐことになりました。
結婚してからは主婦業を優先し、夕方までの時間で働けるデザイン会社へ転職しました。その傍ら、フリーランスのイラストレーターとして活動できるように、グループ展やアートイベントに参加したり、公募に出したりと、種をまき続けていました。
徐々に作家仲間や、お世話になるギャラリーさんも増えてきて、お仕事をつなげていただいたり、個展にお誘いいただいたりするようになりました。生活習慣と食生活を改善したことで、擦り切れていた身体はすっかり健康体に戻り、いよいよ待望の第一子を授かりました。
私が毎日の日課としたのは、絵本の読み聞かせでした。「子どもに言葉のシャワーを浴びせることで、愛情たっぷりの関わりができる」ということを知ったからです。絵本と共に成長してきた息子は、「絵本は、ぼくにとってお兄ちゃんだし、友達だし、先生!!」と嬉しそうに語るほど、読書が大好きな子に育ちました。
3.11の葛藤を越えて見つけた、本当にやりたいこと
実は、2011年の東日本大震災(3.11)以降、私はしばらく絵を描くことができなくなっていました。「絵を描くことで、一体何になるのだろう? 人の役に立つのだろうか」と、自分が描く意味をずっと模索し続けていたのです。
そんなある日、とある絵本作家さんの読み聞かせ会に行く機会がありました。 会場にはたくさんの子どもたちと大人たち。作家さんが登場した瞬間に大きな歓声が沸き起こり、会場全体が温かい熱気に包まれました。
その光景を目にしたとき、私の心に「これだ! 私が本当にやりたいのは、この温かい空間を作ることなんだ!」という想いが強烈に湧き上がってきました。張り詰めていた緊張が解けるように涙がとめどなく溢れ、気づけば大泣きしていました。
ずっと探し続けていた「絵を描く意味」への答えに、ようやく巡り合えた瞬間でした。
初めての絵本は、子どもを寝かしつけた後に紡ぎ出された
息子がおしゃべりできるようになってきた頃、絵本を読むことのできないお風呂場や消灯後の布団の中で、「ももの話、して〜」「のこぎりの話、して〜」とリクエストをもらって即興でお話を作る、「想像絵本」をするようになりました。
親にとってはまさに「脳トレ」です。
その場しのぎの出鱈目なお話ですから、翌日にはどんな内容だったかきれいさっぱり忘れてしまうことがほとんどでしたが、100回〜200回に1回くらい、「これ、絵本になるのでは!?」と思うものが生まれるようになりました。「絵本を自分が描く」だなんて、これまで想像すらしたことがなかったのですが、「絵本作り、楽しいかも!!出版してみたい!!」と思うようになりました。
そんなある日、近所の図書館で「絵本コンクール募集」のチラシを発見。「大賞者の副賞は絵本出版」という文字に、私はいてもたってもいられず、チラシを持ち帰り、早速絵本のネタをあれやこれやと考えはじめました。
募集締め切りまでわずか3週間しかないこと、本格的に絵本を描いた経験がないこと、さらには絵の具での作画にも不慣れだったことなど、挑戦を諦める理由はいくらでも見つかりました。でも、「あの日あの時あのチラシに出会えた」というご縁を大事にしようと、筆を執ることに決めました。
当時1歳の息子は、私がいないと寝られない子だったので、「寝かしつけてから描くぞ!」という計画はなかなかの難関でしたが、「1日5分でも手を動かしていたら、確実に完成に近づく」と信じて、なんとか締め切りに間に合うように描き切ることができました。
結果は大賞…ではなく「佳作」。出版するためには大賞を取る必要があり、正直悔しい思いもありましたが、初めて出したコンクールで入賞したことで、「絵本を描いてもいいんだよ」と背中を押していただいたような気持ちになりました。
「絵本を出版して、息子を喜ばせたい」という純粋な気持ち。そして、「やりたいことに向かって挑戦し続ければ、夢は必ず叶う」という姿勢を、息子にも自分自身にも証明したい。そんな強い想いを胸に、新作を描いてはコンクールに出すという日々が始まりました。
画像:コンクールに応募した絵本たちの一部
夢の実現とこれから。笑顔が溢れる空間を世界へ
絵本出版を目指して描き始めた最初の一作品から、実際に出版が決まるまでに、約6年間という年月がかかりました。その間、新作を描いてはコンクールに応募する日々を繰り返しました。最終選考通過や入賞をするも、なかなか出版(大賞)には至らず、何度悔し涙を流したことでしょう。その度に、息子や主人、周りの友人たちに励まされては、立ち直ることができました。
特に長男は、私が一喜一憂している背中を一番近くで見続けているので、絵本出版が決まる前から「きっとママは、人気者の作家になるよ。ママの描いた絵本、全部おもしろいから!!」と声をかけてくれたり、初めての出版が決まった時には、「ぼく、そうなるって、知ってたよ」と言わんばかりの誇らしげな顔をしながら、一緒に喜んでくれました。
絵本の読み聞かせをする空間は、笑顔に溢れていて、あたたかくて、幸せで、平和です。私は、これからも自作の絵本を作り続けて、この空間を広げていくお手伝いをしていきたいです。
一人でできることは、ごくわずかかもしれません。けれども、一人の力は小さくても、届いた誰かがまた次の誰かへと、一人、また一人と温かい輪を広げてくだされば、それはやがて大きな波になります。これからも、たくさんの絵と絵本を生み出して、日本中、そして世界へ。一人でも多くの人に、幸せであたたかいひとときをお届けできましたら、嬉しい限りです。
画像:図書ボランティアさんにお招きいただいた、小学校での読み聞かせ
最後になりましたが、今回ブログ執筆という貴重な機会をいただき、心より感謝申し上げます。また、ホームカミングデーで絵本の読み聞かせを行うきっかけをくれた、大切な同志にも深く感謝いたします。
お読みくださった皆々様、本当にありがとうございました。皆さまの今後のますますのご活躍を、心よりお祈りいたしております!!
2004年
英米語学科卒
ホッシーナッキー


