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ベトナム系カナダ人作家キム・チュイ氏の講演「難民の運命」が開催されました

2016.11.14
神田外語大学
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日時:2016年10月11日(火)14:50~16:20
会場:クリスタル・ホール
講演者:キム・チュイ氏
使用言語:フランス語(通訳あり)
司会・通訳:仲村愛先生(本学非常勤講師)
主催:本学グローバル・コミュニケーション研究所

キム・チュイ氏略歴

1968年、ベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)生まれ。ベトナム戦争後、共産主義化した体制から逃れるため、10歳のときにボートピープル(難民)として、家族とともにベトナムを脱出した。まずマレーシアで難民としての保護を受け、その後、カナダ政府に引き渡され、モントリオール郊外に到着し、難民認定を受けた。モントリオール大学で法学と言語学を学び、卒業後、弁護士、裁縫師、レストラン経営などを経て、作家に転身した。自身の難民としての体験を描いた自伝的小説Ruは2010年、カナダ総督賞を受賞した。本書は、『小川』というタイトルで邦訳された(山出裕子訳、彩流社、2012年)。また、本書は25カ国語に翻訳され、世界中で刊行されている。他の作品にÀToi やMãnなど。

講演主旨

チュイさんは、まず、1960年代から70年代までのベトナムの政治情勢を黒板に地図を描きながら説明し、共産主義化したベトナムにおける動乱、富裕層や反体制分子に対する軍事政権の迫害の惨さについて生々しく語った。チュイさんの家族も迫害を受け、ベトナムに居続けると命が危ないことを察知し、命からがら、1978年、船に乗ってベトナムを脱出した。その船は、幅3メートル、長さ20メートルの二層式の小型船であった。船内には218名がぎゅうぎゅう詰めに重なり合い、空腹に耐え、嘔吐を繰り返しながら、4日間漂流し、マレーシアに到着した。当地で保護されたものの、難民キャンプでの生活は過酷なもので、約2,000名のベトナム難民が、少量の食糧しか与えられず、衛生面においても劣悪な環境で、悪臭で鼻が効かなくなるほどだった。
 
運良くカナダ政府がチュイさん一家を難民として受け入れてくれた。カナダでは、ケベック州モントリオール近郊のグランビーという小さな町で受け入れられた。到着したとき、町中の人たちがチュイさん一家を出迎え、住民一人ひとりが力強く抱きしめてくれた、という。住民たちは、必要なものをくれたり、買い物に連れて行ってくれたりと、ボランティアでチュイさん一家に親切にしてくれた。グランビーには動物園があり、入場料が高いことで知られるが、毎週末のように、いろんなカナダ人家族がその動物園に連れて行ってくれた。
 
グランビーに到着したときは、あまりフランス語ができなかったが、住民の親切な心に動かされ、彼らが話すフランス語をしっかり勉強しよう、と強く思った。フランス語で書く理由はここにある。この35年間、カナダの人々の寛容性に救われ、生きてくることができた。今は、カナダへの恩返しの気持ちをもって執筆活動に励んでいる。

講演の様子

本講演は、仲村愛先生担当の「カナダ研究入門Ⅱ」の授業内で開催された。本講義の受講者129名に加え、本学の教職員や他の学生、近隣の一般の方々も来場し、参加者は約150名に上った。難民の様子はニュースで見ることはあるものの、実際に、ボートピープルとして生き延びた人から、その体験を聞くのは貴重な経験であり、来場者たちはチュイさんの話に神妙に聴き入っていた。ボートピープルとして船出した場合、生存率は30%のみだという。チュイさんの運の強さ、人間としての強さ、そして、想像を絶する苦難を乗り越えた明るさと前向きな姿勢に、来場者は心を動かされたようだ。
 
本講義では、前の週に、難民についての講義があったため、受講者たちは事前に難民についての知識を身につけて、本講演を聞いた。なかには、チュイさんの『小川』を読んできた学生もおり、講演後の質疑応答では、本の内容に触れる具体的な質問があった。また、本学のベトナム人職員も参加し、ベトナム語でのやり取りもあった。
 
講義の後、チュイさんは7号館のMULC(マルク / 多言語コミュニケーションセンター)を視察し、岩井美佐紀先生のベトナム語の課外授業にも参加した。

キム・チュイさんと仲村先生

講義の様子

質疑応答

講演後の岩井先生のベトナム語の課外授業

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