仲代表の「グローバルの窓」

仲代表の「グローバルの窓」

第27回 “Wonderful days with you !” (いっしょに仕事できてすばらしかったよ!)

2022.07.15

 私は、NO.2のGM(ジェネラルマネジャー)が広告代理店と結託している話を社長(日本人)にしましたが、「証拠がないと解雇することはできない、まずは尻尾を掴む(証拠を押さえる)こと」ということで慎重に事を進めることになりました。そのため、私を含めた5人のマネジャーと社長で情報共有しながら、対応していくことになりました。GMはNO.2なので、社長以外はみな部下となります。みな業務的にGMに逆らえない状況です。

 カデイさんが去った後、新たに男性の経理マネジャーを雇用しました。新しい経理マネジャーはディ・トマと言って、ハートが熱く、正義感の強いイタリア人です。カデイさんから引継ぎを受けたディ・トマさんは、彼なりに請求書を調べ、やはりおかしいと思ったようです。もう一人、人事マネジャーのヴァンニさんも同様にハートが熱く、正義感の強いイタリア人でしたが、冷静であるところがディ・トマさんとの違いだったでしょうか。このヴァンニさんとディ・トマさんの静、動のコンビはなかなかすばらしく、二人はその後のイタリア会社のコア人材となっていきます。

 本件は社長の号令の下、社長とマネジャーで構成する極秘プロジェクトチームを発足して対応することになりました。ミーティングは、GMがいるオフィスで行うわけにはいかないので、勤務が始まる前の早朝、みなでカフェに集合し、掴んだ情報を共有し、次のアクションを決めました。ミーティングが終わった後は、それぞれ時間をずらしてオフィスに出社し、GMや他の社員に集まっていたことを悟られないように行動しました。

 しかし、GMは我々マネジャーがみな彼に不信感を抱いていることを感じていたのでしょう。広告会社への言動も慎むようになりました。私はだんだん焦ってきました。というのは、3月に家族を先に帰して、9月末日には私自身も日本へ帰国することが決まっていたからです。後任はドイツから横滑りで後輩が来ることも決まり、7月1日に着任しました。私との引継ぎ期間は3か月ありましたが、その間、私はこの件に集中していたので、ほとんどまともな引継ぎを行うことができませんでした。彼も私と同様、ドイツで4年間勤務していたので、現地法人でどう対応すればいいかは十分にわかっていました。また力のある人だったので、私は大丈夫だろうと判断していたのです。実際、大丈夫だったのですが、帰国前に「少しくらいは引継ぎをやってもらってもよかったかなあ」と言われたときは、悪いことをしたと申し訳なく思いました。しかし、彼はGMの件を解決することがイタリア会社にとって最重要とわかってくれていましたので、文句を言ったわけではありませんでした。

 家族が帰国して半年間。私は一人身となり、平日は仕事、週末はイタリア各地を飛び回る生活でした。GMの件には相当注力しましたが、GMはとうとう明らかな尻尾を出すことなく、私の帰国日がやってきました。社長からは、「あとは我々がやるから、君は日本の新天地で活躍してください。」と励まされました。イタリアでは、日本人は社長と二人だけでしたが、社長とは波長も価値観も合いました。これはラッキーでした。第24回に書きましたように、苦楽を共にしながらビジネスをうまく軌道に乗せられ、イタリアでの時間は楽しく、充実していました。

 最後の出社日にはイタリアの社員一同から祝福を受けましたが、そのとき、ディ・トマさんとヴァンニさんから、それぞれハグされました。男同士でもハグするんだと驚きましたが、あのときのハグの感触は今でも体の中に残っています。「あとは俺らに任せておけ。いっしょに仕事できて本当にすばらしかったよ!」という思いが伝わってきて、思わずこみ上げるものがありました。GMとはドイツ時代から一緒にビジネスをやってきたので、とても残念で裏切られた思いがありましたが、二人からハグされ、オセロゲームのように、イタリアで過ごした日々が一瞬にして美しい時間一色に変わりました。

Historical tram in the city center of Milan, Italy, in brown sepia tone

神田外語キャリアカレッジ > ブログ > 仲代表の「グローバルの窓」 > 第27回 “Wonderful days with you !” (いっしょに仕事できてすばらしかったよ!)