仲代表の「グローバルの窓」

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第41回 “As long as you’re careful with women and grudges, there’s no better place than Manila!” (女性と恨みさえ気をつけていれば、マニラほどいいところはないよ!)

2023.05.08

 フィリピンのマニラといえば、私には「若王子事件」の怖いイメージがありました。「若王子事件」というのは1986年11月15日、当時の三井物産マニラ支店長だった若王子信行氏がマニラ郊外のカンルーバンにあるゴルフ場からの帰りに、フィリピン共産党の軍事組織、新人民軍(NPA)のメンバー5人によって誘拐された事件です。事件が発覚してからというもの、連日、日本の新聞を賑わし、日本国内にセンセーションを巻き起こしました。

 今でも覚えていますが、若王子支店長の斬られた指の写真が新聞の一面を飾りました。これは衝撃的でした。テープの声は弱々しく、脅迫状や写真から誘拐された支店長が虐待を受けているように見え、若王子支店長の解放を求める世論が沸騰しました。犯人は、1000万ドルの法外な身代金を要求しました。事件は、3月31日の夜にケソン市内の教会脇で若王子支店長が解放され、終わりを告げました。若王子支店長に怪我はなく、写真やテープは犯人の偽装であることがわかりました。このことから、事件は身代金目的の誘拐事件とみられています。イギリスの誘拐事件専門のコンサルティング会社を通じて交渉が行われたことと、人質と引き換えに身代金が支払われたことを三井物産が発表したため、同様の事件を誘発するとして非難が殺到しました。事件後、若王子支店長はチャーター便で直ちに帰国し、その後は札幌支店長として勤務したようですが、1989年2月9日に膵臓がんのため急逝。享年五十五でした。

 この事件をモチーフにした小説が深田祐介の『暗闇商人』です。これによると日本赤軍や北朝鮮も絡んでいたようですが、真相はどうなのでしょうか。『暗闇商人』のスケール感とここまで調べ上げたのかと思わせる出来事や描写は圧巻です。私はマニラのダスマリニャスビレッジという住宅街に住んでいましたが、この小説にも同住宅街が頻繁に出てきます。実際にある通り名(たとえば、アカシア通り)もそのままの名前で書かれていて、私にはとても臨場感のある小説でした。

 「若王子事件」は強烈な印象をもって私の心に残りました。だから、マニラに赴任が決まったとき、真っ先に思ったのはこの事件のことでした。マニラは治安が悪く、恐ろしいところというイメージでした。元マニラ首席駐在員の同期に「マニラへ出向することになったけれど、マニラってどんなところ?」と聞いてみると、返ってきた答えは意外にも「あんないいところはないよ。パラダイスだよ。但し、二つのことに注意していればの話だけど」というものでした。同期の言う二つのこととは、「女性」と「怨恨」でした。女性問題や恨みを買うと殺されることもあるのです。確かに「若王子事件」の15年ほど前に、住友商事マニラ支店長が射殺されています。これは石油ショックで本社からの圧力に屈し、業者をたたいて、ミンダナオの木材の買い付け価格を下げさせたことで恨みを買ったことが原因でした。こちらも深田祐介の『炎熱商人』に詳しく書かれています。深田祐介はこの作品で直木賞を受賞しています。この小説は、私が今まで読んだ小説の中のベスト10に入る傑作で、商社のマニラ支店長と太平洋戦争時代の陸軍大尉の生き方がオーバーラップして流れていく巧みな構成の小説です。本社(あるいは大本営)の身勝手な要求と現地の実情に悩む支店長(あるいは大尉)の苦悩や生き様が描かれています。現地で勤務し、本社の身勝手な要望に翻弄される自分自身の姿と重ね合わせて読み進むうちに、身につまされるものを感じました。

 このように私のマニラへの印象は、最初はあまりよくはなかったのですが、実際に仕事や生活をしてみるといいところもたくさんありました。1年2か月という短い滞在でしたが、貴重でおもしろい体験をたくさん持つことができました。

 元上司が帰任され、いよいよ私の現法社長としての経営の始まりです。アジア通貨危機の痛手が商売のいたるところに残る中、「リストラ」と「ビジネス再建」という二律背反するものを私は追求していきました。「本社」と「現地」、「女性」と「怨恨」もある意味、二律背反するものなのかもしれません。どんな生活が始まることやら。期待と不安の入り混じり。そう、二律背反のスタートです。


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