仲代表の「グローバルの窓」

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第37回 “ The fungus was found in your stomach ! “(出ましたよ!)

2023.02.17

ページャーは、日本では「ポケットベル(ポケベル)」という名称で当時大流行しました。時宜を得て、「ポケベルが鳴らなくて」というドラマ(1993年緒形拳主演)が放映され、主題歌とともにヒットしました。しかし、ポケベルはその後、急速に衰退していきました。1998年にiモードが導入され、携帯電話が爆発的に普及したからです。

 一方、インドのページャー市場も需要が爆発することはなく、苦戦が続きました。インドでは固定電話の普及率が1%ほどしかなかったので、ページャー市場が盛り上がるだろうと期待したのですが、携帯電話が思いのほか早く立ち上がり、音声通話のないページャーへの需要は盛り上がりませんでした。

 インドでは、携帯電話がいずれ大きな市場になることは予想していましたが、5年くらいはページャーでいけるだろうと見ていたのです。基地局設置などで投資負担の大きい携帯電話は少し遅れるだろうと予測していたのです。

 NECは、当時(1995年頃)、インドに現地法人がなく、駐在員事務所があるだけでした。ちょうどその頃、インド政府が外資導入のため、100%の子会社を認める法改正を行いました。パナソニックは早速、家電製品を主軸に100%の子会社を設立しました。競合のカシオは現地パートナーとの合弁会社(51%はカシオ)でページャービジネスを遂行する道を選択しました。NECは、現地パートナー(Natelco社)を選定し、ビジネスを展開していましたが、在庫は十分持てないし、商談も私が出張って行かないと進みません。こんなスピード感ではとてもビジネスを拡大することはできないと痛感していました。

 そこで私は、NECインディア社という現地法人を設立する案を考えました。スト―リーは、ページャーでビジネスを立ち上げ、そのあと本命の携帯電話へつなぎ、IT系(プリンターやモニター等)や半導体事業を加え、さらにソフトウエアの開発も行うという計画でした。そのため、他のビジネスの可能性を当たるため、インドに長期出張しました。

  IT系の会社の製造拠点を訪問したときのこと。ランチに誘われ、工場の敷地内でインド料理が出されました。といってもフォークやナイフはなく、手でカレーなどをナンにつけて食べるのです。それまで、生野菜、生水には絶対に手を出さずにやってきましたが、さすがにお客様から饗応されては断るわけにもいきません。その日の夜、急にお腹に激痛が走りました。半端ない激痛でした。持参した正露丸は全く役に立たず、インド人の同僚が提供してくれたインドの薬を飲んで、何とか翌朝痛みも熱もましになりました。

 帰国後、二、三日して、今一つしっくりこなかったので、念のため会社の診療所で診てもらいました。一週間後、朝一番で診療所から「何も持たずそのまま来てください」と電話がありました。何事かと診療所に行くと、「出ましたよ」と開口一番言われました。「えっ、何が出たんですか?」と聞くと、「赤痢ですよ。法定伝染病なので、そのまま地下の駐車場に直行して、車に乗って指定の病院に行ってください」と命ぜられました。赤痢にならぬようあれだけ警戒していたのですが、かつ、ランチのあとインドにいる間に治したと思っていたのですが、どうやら赤痢菌が残っていたようです。

 結局、十日ほど隔離入院となり、携帯電話も持ち込み禁止で、仕事ができませんでした。部のみなさんには迷惑をかけました。さらに申し訳なかったのは、私のフロアの男性トイレが消毒され、フロアの男性社員全員に検便が実施されたことです。

 赤痢になったのは15回目のインド出張でした。あのランチは危ないとわかっていても断るわけにはいきませんでした。入院といっても既に痛みはほとんどなかったので、会社には申し訳なかったけれど、とても楽な入院でした。思いがけず休養を与えられたという感じでした。さらに赤痢になったことで、インドがようやく私を受け入れてくれたという感覚になりました。重い病気ではないのでこんなことが言えるのでしょうが、インドが認めてくれたという不思議な感覚でした。

  一方、インドに会社を設立する話は、計画部の事業部長から「随分と大風呂敷を広げたな。それでページャーは今どのくらいのビジネス規模なんだ」と質問され、「2億円くらいです」と答えると、一笑に付されました。「お前がまずやるべきことは、ページャーの事業を軌道に乗せ、それなりのビジネス規模に持っていくことだ」と言われました。そんなことはわかっているのですが、だからこそNECの現地拠点が必要と考えたのです。「インド政府が外資導入の門戸を開いた今がチャンスです」と訴えましたが、時期尚早でした。投資の前にページャーのビジネスを耕し、IT系のビジネスも動かしてビジネス基盤を作れという常識的な結論でした。やはりインド市場となるとそんな軽いやり方では踏み込めないということです。その時のインド出張の成果は、赤痢という切符を得たことでした。長い道のりの始まりです。


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