第111回 – 最終回 (2009年8月~2010年3月)

第111回 - 最終回

2009年8月~2010年3月

第111回 (2009年8月)
CD,DVD, MD等々、ちまたにさまざまな略号が氾濫しています。そんな中、子供でも知っている略号にSOSがあります。いうまでもなく「助けてくれ!」という意味の救難信号です。これはいったいこれはなんの略号なのでしょうか。救難信号だからSave Our Ship ではないか、いやちがうSave Our Souls だろう、などといううがった見方があります。しかし真相はまったくべつのところにあります。ITの発達によって、最近ではなじみが薄くなりましたが、二十世紀のはじめ、無線電信が導入され、長音(ツー)と、短音(ト)を組み合わせてそれぞれの言語を表現するモールス記号が定められました。日本語ですと「い」は「トツー」、「は」は「ツートトト」となります。そのとき、万国共通の救難信号として、意味とは無関係に、耳で緊急信号として聞きやすい「トトト・ツーツーツー・トトト」とすることにきまりました。1906年のことです。たまたま「トトト」はS,「ツーツーツー」がOだったことからSOSという略号が生まれたというわけです。 石井米雄
第112回 (2009年9月)
「泉」、「ばね(スプリング)」、「春」。一見無関係にみえるこの三つの意味をもつ単語にspring があります。Spring は、古代英語の時代には「急に動く、飛び跳ねる」を意味する動詞でした。一方spring は、名詞として「(川の)源泉」を意味していました。それが12世紀になると「地面から湧き出てくる水の流れ」を指すようになり、さらに15世紀の半ばには、「飛び跳ねること、ジャンプすること」へと意味が広がっていきます。さらに16世紀になると、冬が過ぎて草花が萌え出でる季節ということから「春」を意味するようになったのです。日本でも「春夏秋冬」といって、春は一年の最初の季節とされていますが、発想法は同じです。事情は他のヨーロッパ諸語でも同様で、フランス語ではprintemps といいますが、これはラテン語の primum tempsつまり「最初の季節」に由来します。語源こそは違え、ドイツ語でも考え方は同じで「春」はFruhling 、つまり「早い季節」といいます。この辺のところに、多言語比較の面白さがありますね。 石井米雄
第113回 (2009年10月)
日本人の食生活も大分変り、とくに一人暮らしの人は自分で料理せず、もっぱらレトルト食品にたよることが多くなりました。レトルトという言葉はもともとオランダ語のretortで、化学の実験でつかうガラス製の長い曲がった首のついた「蒸留器」を意味していました。日本ではすでに江戸時代からしられていて、「列篤爾多」という難しい漢字があてられていました。それがもとで、のちには「レトルト内で加熱処理した食品」を意味するようになったというわけです。オランダ語「レトルト」の語源は「曲がる」を意味するラテン語の動詞retorquere の過去分詞形retorta に求められます。この「曲がる」という原義から、英語retort では動詞に用いて「言い返えす」「[侮辱した相手に]やり返す」という意味になります。これを名詞として用いると「辛辣な言い返し」「逆襲」「反駁」「口答え」を意味するようになることは想像できるでしょう。もとはといえば、ガラス製の蒸留器の長くまがった首からの類推で、このように意味が広がっていくのを見るのは楽しいものです。 石井米雄
第114回 (2009年11月)
同音異義という厄介な単語があります。発音が同じですが、意味が全く違うことばです。日本語にもなっている「スケール scale 」はその一例です。「規模」「等級」、「縮尺」を指すscale はそれなりに意味がつながるので理解しやすいでしょう。語源は「梯子」、「階段」を意味するラテン語 scala の複数形 scalae からの借用です。地図の「縮尺」がそうですし、「ハ長調」などという「音階」もこれにあたります。しかし魚の「うろこ」を指す scale となると意味はまったく関係ありません。これは同じく「うろこ」を意味する古代フランス語の escale からの借用で、さらにさかのぼれば古代高地ドイツ語の scala にも関係してきます。もうひとつ「天秤」、「はかり」を意味するscale がありますが、これの方は、ラテン語とは関係がなく、スエ―デン語、デンマーク語などのスカンジナビア諸語の 、中世オランダ語の、オランダ語の schaal 古代高地ドイツ語の、近代ドイツ語の Schale など、いずれも原ゲルマン語のに由来し、「深めの」皿を指すことば。このようにもともとまったく違ったことばだったものが、現代英語では同じ綴り字になるのだから迷いますね。 石井米雄
第115回 (2009年12)
日本の音楽配信サービスサイトにモ―ラ (mora) があります。この名前は「音楽を網羅(もうら)する」の語呂合だそうで、そうだとすれば英語ではありません。ところで英語には moraという言葉があります。こちらの mora は、もともとラテン語の詩作法上に用いられていた概念で、等時間のリズムを捉える単位です。語源は「延期する、遅らせる」を意味する動詞の 。言語学の術語としては、音韻論上単一のリズムをなす音節(音韻論的音節)を指します。一モ―ラは、普通、子音音素と母音音素の組み合わせで、日本語を例にとれば、“は”は h+a ですから、一モーラ。“サクラ”は sa+ku+ra ですから 3 モ―ラとなります。最近ある大臣の発言がもとで「モラトリウム」ということばをよく耳にするようになりました。これは法律用語で、moratorium と綴り、「支払猶予期間」を意味します。これもまた同様にラテン語の に由来します。形容詞は maratory で「支払猶予の」となります。 石井米雄
第116回 (2010年1月)
「メンテナンス」という英語は、すっかり日本語に根付きました。綴りは maintenance ですが、もとをたどれば古代フランス語の maintenir にいきつきます、さらにさかのぼればラテン語の manus と の組み合わせで、「手」で「支える」というのが原義でした。Manus から出た英語は、ほかにもいろいろあります。「マニュアル manual」 もそのひとつです。マニュファクチャーmanufacture は、「手」 manu-で「ファクチャー」factureつくること。マニュスクリプト manuscript は「手」で「書かれたもの」script を意味します。意外なのは、今では「(家畜の糞などからつくる)こやし」を意味するようになったmanureも、もとは「手」に関係していたということです。Manure の原義は「手で仕 事をする」ことでした。それが「(家畜の)糞」の euphemism つまり婉曲な言い回しとしてつかわれるようになったというわけです。もうひとつこれと関係していることばに manipulate があります。本来は「(機械や道具を)巧みに扱う」という意味ですが、「(株価や帳簿の数字を)ごまかす、改ざんすること」を指すようになりました。 石井米雄
第117回 (2010年2月)
「テスト」という英語は、小学生でも知っています。ただこの言葉が「試験」の意味でつかわれるようになったのは、かなり後のことで、1395年に書かれたチョーサーの『カンタベリ物語』ではまだ「貴金属を検査する小さな容器」を意味していました。チョーサーはこれを古代フランス語の test から借用したのです。test の語源はラテン語で、土製の容器を意味するに由来します。とは、もともと「煉瓦」を意味する からきた言葉です。シェクスピアの『尺には尺を Measure for Measure 』では、「(金銀)を精錬すること」という名詞として使われていました。「Test case テストケース」、「test driver テストドライバー」、「test tube 試験管」いずれも名詞です。それが動詞として「(本物かどうかを)試す」意味でつかわれるようになったのは、イギリスの小説家サミュエル・リチャードソンが1748年に書いた『クラリッサ Clarissa, the History of a Young Lady 』という長編小説に使われたのが初めといわれています。 石井米雄
最終回 (2010年3月)
夏になるとこどもたちが水泳や水遊びに行くのがプールです。プールという英語は、もともと「水たまり」を意味し、ドイツ語ではpfuhlとなります。ですから泳ぐためのプールは、正確にはswimming pool というべきでしょう。日本語では「(資金などを)共同でたくわえる」あるいは「ためる」ことも、「プールする」といいます。いずれも「ためる、たまる」ことと関係があるので、語源もたぶん同じではないかとかんがえがちですが、じつは違うのです。後の方の「プール」は、綴りはおなじですが、後者の語源は「ひよこ、ひな鳥」を意味するラテン語のpullusから、フランス語のpoule(めんどり)を経て英語に入ったことばで、のちに「(競馬やトランプなどの)積立賭け金」((勝った者がとる)賭け金)を意味するようになりました。「(数人で色の違った玉を持って遊ぶ一種の)賭け玉突き」もpoolといいます。いずれも「相互利益のためにおこなう」点で共通しています。そこから「(共同利用のためのタイピストなどの)要員」などを意味するようになりました。Laborpool といえば「予備労働力」ということです。 石井米雄