第81回 – 第90回 (2007年4月~2008年1月)

第81回 - 第90回

2007年4月~2008年1月

第81回 (2007年4月)
アグニagniは、古代インドの「火」の神様です。この神様は、太陽や稲妻や祭火などいろいろな形でその姿を現すといいます。インド最古の古典『リグ・ヴェーダ』には、アグニ神に対する多くの賛歌が見られます。Agniはラテン語ではignisという形をとり、「火」を意味しますが、これが英語の動詞ignite の語源です。Ignite a rocket といえば、「ロケットに点火すること」。抽象的に用いてignite interestとすれば、感情などを「燃えたたせる」「関心に火をつける」という意味。自動車に乗っていざスタートという時にポケットから取り出すのはignition-key で、これを用いてエンジンのignition 始動装置を起動させることはよくご存じでしょう。Ignis に「生まれる」を意味するnascentをつけた形容詞のignescentは、「火花を発する」「激しやすい」という意味です。ラテン語がそのまま英語に入ってつかわれている表現にignis fatuus がありますが、これを直訳すればfoolish fire、「鬼火」「きつね火」のことですが、転じて人をまどわす「幻想」ということになります。 石井米雄
第82回 (2007年5月)
ファンドfund は日本語になりました。『広辞苑』には「基金、資金」とあります。もともとは「基礎、基底」を意味するラテン語のfundusでした。これに-ment をつけたfundament は、「基礎、基盤」から「肛門」までを指すことばですが、英語ではこれに-al をつけた形容詞形fundamentalの方がよく使われます。ファンダメンタリズムfundamentalismは、テロとの関係で、近年新聞紙上を賑わしていますが、もともとは「根本原理を忠実に遵法する運動」という意味でした。Fund- は中世英語にはいると母音が変わってfound-となります。とすると近代英語のfound(基礎をすえる)、foundation (基礎)がその派生語であることに気づくでしょう。Founder は「創設者、設立者」です。これと同形で意味が全く違う言葉にfounder「鋳物師」foundry 「鋳物工場、鋳造場」があります。これもラテン語に由来する言葉ですが、語源となった動詞が違います。前者はfundãre(基礎をおく)、後者はfundere(注ぐ、溶かす) で、まったく別の言葉なのです。このあたりに語源探索の面白さがありそうですね。 石井米雄
第83回 (2007年6月)
シンコペーションという言葉をご存じですか?音楽用語では「切分音」などというむずかしい訳語がついていますが、易しくいえば、ジャズを特徴づける「ブン・チャッチャ」というあのリズムのことです。綴りはsyncopation 。この言葉を語源にさかのぼると、ギリシャ語のsyncopéにたどり着きます。意味は「短くすること」で、動詞のcoptó「切り落とす」からできた言葉です。Syncopationは、文法用語として使われると、「語中音消失」となります。これまたむずかしい訳語ですが、never をne'er にしたり、everyをev'ryにしたり、さらにはpacificist をpacifist などとする現象を指します。いずれの場合も、なにかが「消えること」あるいは「落ちること」に関係しています。とすれば、syncope の形で医学用語に入ったとき、何を指すのか想像してみてください。辞書を引くと、”brief loss of consciousness” と書いてあります。つまり脳貧血による一時的な意識の喪失、日本語に直せば「卒倒」とか「気絶」を意味します。「音楽」、「文法」、「医学」という一見無関係にみえますが、語源を知れば、それらがたがいに結び合っていることがわかるでしょう。 石井米雄
第84回 (2007年7月)
日本語では一言で言えないが、英語では一言でいえることがあります。Locateなどがその一例といえるでしょう。辞書には「位置を定める」とか「あり場所を突き止める」とあります。語源はラテン語のlocus「場所」ですが、これが英語にはいっていろいろに用いられています。形容詞のlocalは、もともとは「場所の」という意味ですが、中央に対して、ある特定の地方を指します。Local government といえば「地方自治体」、local time といえば「現地時間」、localizeは「局限する」、「地方化する」こと。日本語になった「ロケ」はlocationの略で「野外の撮影場所」を指します。ちかごろ「世界的規模で均一化する」という意味で、グローバライゼーションという言葉がよくいわれますが、こうした風潮のなかで地方の特性を強調しようとしてglocalizeという言葉が発明されました。この新語はまだ辞書には未登録のようですが、globalizeとlocalizeを組み合わせてできた言葉です。ついでのことながら引用文献などでよくお目にかかるloc.cit. という表現を知っていますか。Loco citatoというラテン語の省略形で、「先に引用した部分」を指すことを覚えておきましょう。 石井米雄
第85回 (2007年8月)
タクシーは他に言い換えができないほどなじみ深い言葉になりました。辞書には「街中や一定の場所で客のもとめに応じて乗せる営業用自動車」という説明がありますが、この英語の原語はtaximeterつまり「自動運賃表示器」で、それを略したのがtaxiというわけです。この語は、英語に入った時期から輸入者まで特定されています。1907年の3月に、Harrry N. Allen という人が、タクシーメータのついた4気筒16馬力の自動車をフランスから輸入したのが始まりのようです。ちなみにtaxiはtax に由来しますが、taxはいうまでもなく「税金、租税」の意味です。その語源は「計算する、見積もる」という意味の古典ラテン語taxáreです。それが中世ラテン語に入ると「税をかける」という意味に変化し、中世英語をへて、現代英語のtaxになりました。面白いのはtaxi がまったく別の意味をもつ動詞として使われていることです。「飛行機が駐機場から滑走路へ自らの動力で移動する」という意味ですが、形こそ似ていますが、tax とは無関係。これはギリシャ語のtaxis (速やかに〔動く〕)から来た言葉です。形が似ているからといって同じ語源と考えてはいけない例といえるでしょう。 石井米雄
第86回 (2007年9月)
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」川端康成の『雪国』の冒頭の一節です。川端の作品に登場した「トンネル」は、もう日本語だと考えていいでしょう。英語のtunnel が現在のように「鉄道、道路、水路などを通すために山腹、河底、海底もしくは地下に貫く通路」(広辞苑)を意味するようになったのは、ようやく18世紀のこと、それがとくに鉄道のトンネルを指すようになるのは19世紀の話で。15世紀には、鳥を捕まえるための口が広く中は筒状になっている「わな」のことでした。いまでもtunnel net という言葉がのこっています。中世英語では中世ラテン語同様で、「樽」の意味でした。それが16世紀になって「煙突やパイプのシャフト」を意味するようになり、18世紀にはいると、地下に掘った通路を指すようになりました。いずれも中空であることに共通点があります。地下通路といっても、はじめはとりわけ、石炭船を通すために運河に掘った「トンネル」のことでした。いまの「トンネル」の意味になったのは1782年であると研究社の大英和は特定していますが、その辺の歴史はしらべてみるとおもしろいかもしれません。 石井米雄
第87回 (2007年10月)
ギリシャ語で「水」はhydor ですが、英語にはこれを使ったことばがたくさんあります。Hydrogenは「水素」、したがって「水素爆弾」はhydrogenbomb、略してH-bombとなります。町でよく見かける「消火栓」はhydrant。Hydraulic power plantといえば「水力発電所」。Hydrofoilは「水中翼船」。Hydrophobiaは「恐水病」。[ちなみにphobia は「恐怖症」で、xenophobiaは「外国人恐怖症」(xenos は「外国人」のこと)。]hydrology は「水文学」、hydrography は「水路学」、hydraulicsは「水力学」等々、hydro-から水にちなんださまざまな言葉が作られています。土壌つかわず、栄養分を溶解した溶液で植物を栽培する「水耕法」はhydroponicsといいます。Hydrophoneが、潜水艦などの位置を探知する水中聴音機であることなどは、これまでの知識を総動員すれば類推できるのではありませんか。最後に「ヒドラ」(Hydra)といえばギリシャ神話に出てくる怪物の名前ですが、星座の名前としては「うみへび座」を指します。 石井米雄
第88回 (2007年11月)
いつのころからか「ビンテージ」という言葉が流行り始めました。ジーンズ、ボストンバック、スニーカーからライター、美容品にいたるまで、「ビンテージもの」の人気が高まっています。おどろくことに「ビンテージもの」には家電製品までが含まれるようになりました。いうまでもなくこれは英語のvintage ですから、より正しくは「ヴィンテージ」と書くべきでしょう。Vintage のvin-は、ラテン語のvînum が語源で、ワインつまり「ぶどう酒」。それに「とっていく、収穫する」を意味するdêmere の名詞形dêmia がついたvindêmia は、もともと「ぶどうの収穫」を意味しました。それが中世フランス語、フランス語を経るうちに形が変わってvintage となったという訳です。英和辞典には「(ある年の)ぶどうの収穫」と言う訳につづいて、「ある年の(農)産物、とくに古い型」という意味がついています。それが「古風な」と一般化されル要になったというわけ。ロールスロイスなどのような古典的な車は「ヴィンテージ」の代表といえるでしょう。それにしても、ジーンズやスニーカーやライターから「ヴィンテージな山岳温泉ホテル」まで現れるとは。新しもの好きの反動なのでしょうか。 石井米雄
第89回 (2007年12月)
最近「デジタル」と「アナログ」という言葉をよく耳にします。辞書によると「アナログ」とは「ある量またはデータを連続的に変化しうる物理量(電圧など)で表現すること」。これに対して「デジタル」とは「ある量またはデータを、有限桁の数字列として表現すること」とあります。「デジタル」の時計は、1分のつぎはすぐ2分となりますが、「アナログ」の時計の針は、1分から2分へと連続的に動いていきますね。Analogの語原はギリシャ語analogosで、「類似物、類比」という意味です。アナロジーanalogy「類推」はもうすっかり日本語になって日常的に使われるようになりました。他方、digitalの方は「指」を意味するラテン語のdigitus が語原で、もともとは「10本の指で計算する」ことを指していました。たとえば観葉植物のジギタリスは花冠の形が指に似ていることからついた名前です。Digitize は「情報をデジタル化すること」。日本語になってしまった「デジタル化」は、英語ではdigitization といいます。 石井米雄
第90回 (2008年1月)
ひとつの語源から、まったく意味の違った語が生まれることがあります。ラテン語の動詞finir がその一例です。Finir はもともと「限る,境界のなかに囲い込む、終える」という意味ですが、そこから「楽曲の終止」を意味するfine が生まれました。イタリア映画の最後の字幕にでてくるfine がそれです。ところでシンガポールに行くと"Singapore is a fine country" と書いてあるT-シャツを売っています。町の清潔さを売り物にしているこの国では、道路につばを吐けば罰金、タバコを捨てればまた罰金と「罰金fine」 だらけの「美しいfine国」だというユーモアです。もともとの「終わり」を意味するfineの方は、シェクスピアの「All's well that ends well 終わりよければすべてよし」という戯曲に見られるとおりです。それがのちに「紛争を終結させる金」を指すようになりこれが「罰金」となりました。他方「美しい、みごとな」を意味するfine の方は、「最終的に鍛え上げられた美しさ」ということで、これはフランス語のfinesse 「洗練された質の良さ」にもみられるとおりです。英語では「芸術」を意味するfine art にその痕跡を残しています。 石井米雄